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圧巻のデビュー戦

圧巻のデビュー戦

第3章

圧巻のデビュー戦

サイレンススズカ ターフを駆け抜けた 伝説の逃げ馬の生涯

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 デビューの日は確実に近づいていた。相変わらず、馬体重が436圓半さかったが、サンデーサイレンスの三世代目として、「サイレンススズカ」と名付けられた馬の噂は、トレセンからマスコミ、そしてファンへと瞬く間に拡がった。まだ見ぬ馬への期待は日増しに膨らんでいった。

 そして、迎えた1997年2月1日の新馬戦。

 サイレンススズカは京都競馬場でデビューを果たす。調教で抜群の動きを見せていたサイレンススズカは単勝オッズ1.3倍の大本命に評価されていた。

 1番枠から好スタートを切ったサイレンススズカは、圧巻のスピードでみるみるうちにハナに立ち、そのまま直線コースへ。ゴールまで騎手が手綱を動かす必要もなく、後続に7馬身差を拡げて圧倒的パフォーマンスを披露した。

「遅れてきたサンデーサイレンス産駒の大物」
「ダービーはこの馬だ」

 新聞各紙は大騒ぎし、この馬の勇姿を取り上げた。

 念のために付け加えておくと、2着馬パルスビートは6月までに3勝を挙げてオープンに出世し、後に重賞2着を3回記録した活躍馬だ。決して力不足だったわけではない。当初の評価を考えると、誰がこれほどまでの活躍を想像していただろうか。それほどまでに衝撃的なデビュー戦だった。

「このレースを見ただけでG1を意識しました。それにしてもまさかあれほどとは……」
 生産者の稲原美彦はこう話し、まだ新馬戦を勝っただけなのに皐月賞のトライアルの弥生賞参戦を表明した。

 第2戦目は、1997年3月2日、中山競馬場芝2000m。
 エアガッツに次ぐ2番人気に支持されたサイレンススズカは、皐月賞トライアルの弥生賞に挑んだ。「まだ1勝しかしてないのに、ちょっと早いか」という指摘もあったが、反面、陣営の期待値は高かった。

 だが、結果は8着に甘んじた。
 なんとスタート直前、ゲート内で鞍上の上村洋行騎手を振り落とし、ゲートをくぐってスタスタとコースに出てしまったのだ。仕切り直しで外枠発走を余儀なくされた。
 しかも、これだけでは終わらず、今度はスタートしない。10馬身と絶望的な差に広がった頃にようやくスタートした。だが、ここからが真骨頂だった。

 走り始めたサイレンススズカは狂気の速さで猛追をはじめ、直線に入るころには3番手を脅かすほどまで追い上げていた。さすがに最後は疲れて失速したが、この致命的な出遅れを巻き返すスピードに評価が落ちるどころか、むしろ「直線までの伸び脚はさすが」と言わしめた。
 とはいえ、夢の皐月賞は断念せざるを得なかった。

サイレンススズカ:弥生賞までの競走成績

<サイレンススズカ・データ:http://db.netkeiba.com/horse/1994103997/>

(写真は、1997年の弥生賞)

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