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混迷と挫折 雌伏の時期

混迷と挫折 雌伏の時期

第4章

混迷と挫折 雌伏の時期

サイレンススズカ ターフを駆け抜けた 伝説の逃げ馬の生涯

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 皐月賞の切符を逃したサイレンススズカ陣営は、目標を日本ダービーに切り替えた。まずは阪神競馬場の500万下平場に出走した。1.2倍の1番人気。支持どおりの圧勝だった。

 しかし、このレースで弱点が露呈した。
 スタートから引っ掛かりまくり、折り合わないままのレース運び。この掛かりグセは、目標であるダービーの2400mを乗り切るには致命的になりかねない。

 大きな課題を残したまま、ダービートライアルの続く東京プリンシパルステークス(東京 芝2200m)に臨んだ。鞍上の上村洋行は折り合いに注意し、レースを進めた。結果的に、3番手からの追い上げで勝つには勝った。だが、僅差の勝利。ダービーの切符は手に入れたものの、この頃のサイレンススズカは、持ち味である「驚異の逃げ足」は影を潜めていた。これを境にサイレンススズカは混迷期に入ってしまう。

「大逃げをうつか、それとも抑えるのか」
 ダービーを前に、調教師の橋田満は悩んでいた。抑えると、持ち味の能力を殺してしまいかねない。答えが出ないまま、ダービー当日の6月1日は迫っていた。最終的に陣営が下した決断は抑える戦法だった。2400mという距離を配慮してのことだった。

 ダービーには、同じ逃げを得意とするサニーブライアンも出走する。サイレンススズカ陣営の戦法はどう転ぶかわからなかった。

 そして、レース本番。
 大外から逃げを打つサニーブライアン。気持ちよく逃げ切るサニーブライアンに対し、サイレンススズカは戦法どおりに抑える競馬を試みた。だが、無理に抑えたことでひどく折り合いを欠いた。

 サイレンススズカの強みはその非凡なるスピードにある。結果的にこの戦法はサイレンススズカの真価を発揮できず、9着と惨敗した。逆にサニーブライアンは逃げ切りに成功し、二冠を達成した。
「この馬は抑える競馬は向かない」
 陣営はやっとその事を確信した。

 ダービーのあと3ヵ月の休養をとったサイレンススズカは9月15日、菊花賞トライアルの神戸新聞杯に出走した。ただ、このレースの意味合いは菊花賞に向けてのものではなく、狙いはあくまで天皇賞・秋へのメドをつけることにあった。

 だが、レースは気の緩みからかミスを犯してしまった。
 出だしはよかった。本来の逃げ馬らしいレース運びでハナに立ち、そのまま楽勝ムードかと思われた。勝利を確信したのだろうか、一瞬の隙が生まれた。後に菊花賞を制するマチカネフクキタルが大外から追い上げてきて、きっちり差し切られてしまう。終わってみたら2着だった。

 次走の天皇賞・秋に向け、鞍上は上村洋行から河内洋に乗り替わった。
 河内は最初から「大逃げを打つ」と覚悟を決めていた。
 前半の1000mは58秒5と、逃げ馬にとっては厳しいペースだ。途中までは独走状態を作ったものの、そこは古馬の壁。結局、直線で馬群に沈んで6着に敗れた。

 しかし、この敗戦には意味があった。悪い流れでの負けが続いた中、今回のレースは本来の持ち味であるスピードを発揮することができたのだ。
 これで復活の兆しと思いきや、次走ではまったく逆だった。
 当初予定していた京都金杯をやめ、香港国際カップへの選出が決まったことから次走はマイルチャンピオンシップに切り替えた。ここで生涯最悪の惨敗を喫してしまう。

「15着」

 スピードスターの見る影もない。
「勝てない」トンネルから出られずにいたサイレンススズカとはいえ、後にも先にも二桁着順はこれが最初で最後だった。自身のスピードをコントロールできない馬と、馬との折り合いがつかない騎手。一度狂った歯車はなかなか戻せずにいた。

 この頃、“悪い癖”は拍車がかかっていた。
 厩舎での左旋回の癖は高速回転となり、このままでは事故の危険性を秘めていた。心配した陣営は、この癖をやめさせようとしたが、サイレンススズカは抵抗。反対に馬にストレスを溜めるだけになった。

 仕方なく、そのまま馬の好きにさせるしかなかった。
「打つ手なし」
「なす術なし」
 陣営はそんな状況に追い詰められていた。

 香港国際カップの日程は、間近に迫っていた。
「こんなことで、レースに出ることができるのか」
 解決の道は見いだせず、焦りは募るばかり。
 しかし、運は彼らに味方した。種付けのときもそうだったが、今回も運命の出会いを呼び込んだのだ。

 誰もが認めるナンバーワンジョッキー、武豊。
 あろうことか、武から「サイレンススズカに乗りたい」と申し出てきた。通常、騎手は「依頼が来るのを待つ」のがスタイル。でも、武は違った。自ら名乗り出た。

 実は武は、サイレンススズカのデビュー戦の時からこの馬に惹かれていた。
 プレミアートに騎乗し、同じレースに出ていた武はサイレンススズカを見て、「皐月賞もダービーも全部もっていかれる。痛い馬を逃した」と後に語っていたほどだった。見えない出口に光が差し込んだ瞬間だった。

 12月14日、香港国際カップ。調整不足や陣営のドタバタも影響したのだろう。結果は僅差の5着だった。
 だが、武はこの馬のポテンシャルの高さに気づいていた。

「この馬は化け物だ」
 そして、この時の武との出会いがサイレンススズカの運命を180度変え、翌年の快進撃に繋がるのだ。名コンビはこうして誕生した。宝塚記念を除き、その後はすべて武が手綱をとることになる。

 4戦して未勝利。
 サイレンススズカ4歳(現表記で3歳)の秋は、雌伏の時期でもあった。

サイレンススズカ:4歳500万下〜香港国際Cまでの競走成績

<サイレンススズカ・データ:http://db.netkeiba.com/horse/1994103997/>

(写真は、1997年のプリンシパルステークス)

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