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オグリキャップとテイエムオペラオー

オグリキャップとテイエムオペラオー

第3章

オグリキャップとテイエムオペラオー

日本経済から読み解くテイエムオペラオー 偉大な賞金王の記録

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 栗東の瀬戸口勉調教師から、自身の管理馬でもないテイエムオペラオーについて、生産牧場の場長に電話をかける。それはまさに異例のことだった。

 内容はこんな話だったという。

「テイエムオペラオーだけど、クラシックはどうするんだい」
「どうでしょうか。皐月賞に出るには追加登録になりますし」
「でも、あの馬は強い。皐月賞でもきっといい勝負をすると思うよ」
「え? どうしてですか」
「毎日杯であんなに強い勝ち方をした馬はいないよ。あれは強い。クラシック、おもしろいよ」

 瀬戸口師と言えば、あのオグリキャップを管理した人物だ。

 オグリキャップは地方の笠松競馬から中央に転厩後、重賞レースを連勝。転厩2戦目の毎日杯では、後の皐月賞馬ヤエノムテキに圧勝している。

 しかし、この当時「クラシック追加登録」という制度はなかった。笠松の所属馬だったオグリキャップはクラシック登録をしていない。そのため、どんなに強い勝ち方をしても、クラシックへの出走はかなわなかった。

 稀代のアイドルホース・オグリキャップがクラシックに出られなかったことで、JRAはファンから大きな批判を浴びた。その反省から生まれた制度が「クラシック追加登録」である。

 つまり、瀬戸口師は自らの管理馬だったオグリキャップが、制度の壁によってクラシックに出られなかった悔しさを誰よりも知っている人物なのだ。

 その瀬戸口師がわざわざテイエムオペラオーのクラシック出走について、生産者の鎌田場長に電話をかけた。それは取りも直さず「テイエムオペラオーの関係者には、自分のような悔しい思いはしてほしくない。今は『追加登録』という制度ができている。ぜひ活用して、クラシックを走ってほしい」という思いを伝えたかったからに他ならない。

 同業者の岩元調教師に直接言うのははばかられたのだろう。でも、親交のある鎌田場長には、ぜひ伝えたい。そう思って、電話を手にしたに違いない。

 この話が直接、岩元師に伝わったのかはわからない。しかし、なんとしてもテイエムオペラオーを皐月賞に出してやりたいという思いは同じだった。

 ただし、追加登録にはけっして安いとはいえない追加登録料がかかる。それを支払うのはオーナーだ。オーナーが「Yes」と言わなければ、追加登録はかなわない。

「ダービーからでいいのでは」と言う竹園オーナーに対して、岩元師は「追加登録料は自分が支払ってもいいから」とまで言った。竹園オーナーも「そこまで言うなら」と、最後は納得し、追加登録料を支払って、皐月賞への出走が決まった。

 毎日杯を強い勝ち方で勝ち、直前の動きもよかったテイエムオペラオーだったが、世間の評価はあくまでも「伏兵」扱いで、下馬評が高かったのは弥生賞(G2)の上位組、ナリタトップロードとアドマイヤベガだった。

 実際、当日のテイエムオペラオーの人気は、5番人気だった。「掲示板ぐらいはあるかも」という感じだろうか。

 陣営の意気込みはもっと高かったが、それでも「あわよくば上位に食い込めるのでは」というくらいで、いわゆる「勝ち負け」という意識は、この時点ではまだ芽生えてはいなかった。

 しかし、テイエムオペラオーは、中山競馬場の短い直線で、とても届かないだろうと思われる位置から弾けるように加速し、前の馬たちをまとめて差し切った。

 歴史に「たられば」はないと言うが、もしあのオグリキャップがいなかったら「クラシック追加登録」の制度は誕生していなかっただろう。この制度がなければ、テイエムオペラオーも皐月賞には出走できなかったということになる。

 テイエムオペラオーの皐月賞制覇は、オグリキャップがいたからこそだったと言えるかもしれない。

(写真:1999年皐月賞)

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