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シリウスシンボリ、雪辱への思い届かず

シリウスシンボリ、雪辱への思い届かず

第3章

シリウスシンボリ、雪辱への思い届かず

世界に挑んだサムライサラブレッド 〜Part1・欧州編〜

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 1969年のスピードシンボリ以降も、日本調教馬の凱旋門賞挑戦は続いた。たとえば1972年にはメジロムサシが出走したが、19頭中18着に沈んでいる。

 そして1986年。この年の凱旋門賞ではスピードシンボリと同じ和田共弘オーナーが、1985年の日本ダービー馬・シリウスシンボリに雪辱への思いを託した。

 スピードシンボリでも異例の長期遠征を敢行した和田オーナーだが、シリウスシンボリのヨーロッパ遠征はさらに長く、1985年の夏から1987年5月まで足掛け2年にも及ぶものだった。

 ヨーロッパでの初戦は、スピードシンボリと同じキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドS。その後、ドイツ・フランス・イタリアを転戦。1986年9月14日には、凱旋門賞の前哨戦となるフォワ賞(G3)で2着に入り、周囲の期待は一気に高まった。が、万を持しての10月5日の凱旋門賞では14着という結果に終わる。その後もシリウスシンボリはしばらくヨーロッパの舞台に留まり、計14戦に出走。1番人気に支持されたレースもあったが、1勝も挙げることはできなかった。

 和田オーナーは1994年に71年の生涯を閉じたが、凱旋門賞に挑む日本調教馬もシリウスシンボリ以降、10年以上に渡って途絶えてしまうこととなる。

(写真:1985年キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドS)

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