直線、ラスト100メートルで逃した凱旋門賞制覇の夢。しかし、エルコンドルパサーの挑戦と前後する1990年代末期から21世紀にかけては、日本調教馬がヨーロッパのG1レースで勝利を収めるようになっていった時期でもある。
1998年にはシーキングザパールがフランスのドーヴィル競馬場で開催されたモーリス・ド・ゲスト(G1)に勝利すると、その1週間後に、タイキシャトルが同じくドーヴィル競馬場で開催されたジャックルマロワ賞(G1)に勝利。
翌1999年にはアグネスワールドがロンシャン競馬場でアベイユドロンシャン賞(G1)に勝利。
アベイユドロンシャン賞に勝利し、喜ぶ武豊騎手 写真:PanoramiC/アフロ
アグネスワールドは、さらに2000年、英国・ニューマーケット競馬場で開催されたジュライC(G1)でも勝利した。
これは、偶然ではない。敗れたとはいえ、栄光の凱旋門賞制覇まであと半馬身に迫ったエルコンドルパサーの力走が日本のホースマンたちに「やれるんだ!」という勇気を与えたのは事実だろう。そして、それ以上にエルコンドルパサーのプロジェクトチームが実行したような理詰めの海外遠征が日本の競馬界全体に常識として浸透していったことも見逃せない。時差ボケ対策、慣れない遠征地での体調管理などに関しても科学的なアプローチが目覚ましい進歩を遂げた時代でもあった。
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