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ハクチカラとの再会

ハクチカラとの再会

第3章

ハクチカラとの再会

池江泰郎物語

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 昭和51年、池江はインドに渡った。第13回アジア競馬会議に出席するためだった。中央の騎手代表が池江、地方の騎手代表は赤間清松だった。イギリスの流れを汲んだインドの競馬場は広大で、芝コースは1周2400mほどあっただろうか。設備も整っていた。それらを8mmフィルムで撮影し、記録に残した。

 競馬場視察や懇親会を兼ねたダンスパーティーに出席するなど、行程をこなしていたある日、とある牧場を訪問する機会に恵まれた。緑に覆われた放牧地のなかには1つの小屋があり、入口上部に書かれているアルファベットを読むにつれ、池江の胸中には懐かしさがこみあげてきた。

 「HAKUCHIKARA」

 ハクチカラ———そう、池江が初めて競馬場に行った日、日本ダービーを制覇した馬だった。ハクチカラは日本ダービー制覇後、アメリカに遠征し、ワシントンバースデイハンデキャップを制覇。引退後は日本で種牡馬入りしていたが、晩年、インドに種牡馬として寄贈されていた。池江はハクチカラとの不思議な縁がたまらなくうれしくて、帰国するとすぐさまハクチカラの主戦を務めた保田に電話をした。

 「保田先生、ハクチカラと会ってきましたよ」

 「いろいろ話は聞いているけど、元気にしていたか?」

 「はい、元気やったですよ。大事にされていました」

 この話に保田も大いに喜んだ。池江が帰国してしばらくしてハクチカラは亡くなったが、最後の最後に思い出の馬にインドで再会できたのもまた不思議な縁に思えた。

(扉写真:1956年 日本ダービー/ハクチカラ)

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