目次

イスラムからヨーロッパに渡った優駿たち

イスラムからヨーロッパに渡った優駿たち

第7章

イスラムからヨーロッパに渡った優駿たち

世界史から学ぶ競馬(下)

目次

 馬の美しさには筆舌に尽くしがたいものがある。かのレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519年)も、馬の美しさに惹かれ、多くのデッサンを残しているくらいである。

 ここで私は読者の皆さんに一冊の本をご紹介したい。

『世界でいちばん美しい馬の図鑑』という本である。写真集と読んでもよかろう。

 馬は偉大な動物だ。そんな馬の謎を解明しようと、人間は力を尽くしてきた。威厳や美しさ、強い精神を兼ね備えた馬は、数千年にわたり人間によって手を加えられてきたが、家畜化を経てもいまだに本来の野性的な面をさまざまに残している。馬の精神は神秘的かつ慎ましやかであり、そのすべてを理解することは、まだ誰にもできていない。

 このような序文で始まる本書では、原形をとどめている最古の品種であるモウコノウマや遺伝子的にきわめて純粋なアイスランド・ポニー、神話とロマンスに彩られたアラブ、そしてサラブレッドなどなど、80種を超える馬種の進化の歴史をたどるとともに、馬がいかに人間社会にとって重要な役割を果たしてきたかを、美しい写真を交えながら繙いている。競馬ファンならずとも、広く一般の方に一読をおすすめしたい。

 そうなのである。

 馬の品種は、世界を見渡すとおよそ160種におよぶ。そのなかでも、近代にあって重んじられた軽種馬としては3種のオリエント原産の品種が挙げられることが多い。

 イベリア半島のアンダルシアン馬、北アフリカのバルブ馬、そして中東のアラブ馬、である(上述本にも詳しい説明がある)。

 中世ヨーロッパを通じて、ことさら人々が欲しがったのはアンダルシア馬であった。バルブ馬は古代から北アフリカの騎兵に用いられ、イスラム教徒の進出とともにイベリア半島に持ち込まれた。そして、アラブ馬。これこそが純血種と呼べるだけでなく、その優れた資質によって世界中の品種改良に絶大な影響を及ぼしたのである。

 記録に残る限り、イギリスが初めてアラブ馬を(恐らく、戦利品として)輸入したのは1121年のこと。キッカケは、十字軍の遠征だった。

 当時の西アジアのイスラム騎士たちは、ヨーロッパ人が乗る馬を軟弱で劣悪な馬と軽蔑していたらしい。損傷や骨折をしやすかったからである。図体ばかり大きく粗野、もろい骨と固い筋肉のため動きにくいので、イスラム騎兵団の用いるすばっしこい戦法に翻弄されっぱなしだった。しかも、異国の地の疫病にも侵されやすく、食料も多く必要とした。対して、アラブ馬は成育がよく適度な運動をすれば肥えることもなかった。

 そしてもう1点。

 戦場に立ち現れたアラブ馬は牝馬がほとんどだった。イスラム騎士は、牝馬こそが戦場に向いていることを知っていたのだ。これに対してヨーロッパの馬は牡がほとんどだったため、馬が欲情して使い物にならなくなったという記録がある(私はこの説が一番気に入っている)。

 こうしてヨーロッパでは十字軍の遠征以降、中東の馬(アラブ種)の優秀さが認識されるようになり、現在の競馬の原型といえるようなレースが行われるようになる。もっとも、当時はまだ競馬よりも馬上槍試合のほうが人気を集めていた。

 そんな時代に、英国の獅子心王・リチャード1世(1157〜1199年)は競馬に大いなる情熱を傾ける。英国史上、最初に登場する競馬に関する記述はラテン語で書かれた「ロンドン市の描写」に見つけることができるが、それによると、ロンドン市内の市場周辺で競馬のレースが行われたようだ。当時、リチャード1世はまだ国王に即位する前の若者だった。そして、国王に即位するや数頭のアラブ馬を招来し、高額の賞金を賭けた3マイル以上のレースを開催したのである。

 ヘンリー8世(1491〜1547年)も、競馬にひとかたならぬ情愛を傾けた。じつは現在もレースが開催される“世界最古の競馬場”は英国にあるのだが、そのイングランド北西部の都市チェスターにある「チェスター競馬場」は彼の在位中に建設された。左回り・1周1マイル、ほぼ円形の芝コースを備えるこの競馬場は1540年に完成。ここは、歴史を遡ればローマ帝国の要塞が置かれていた土地であった。

 さらにその娘・エリザベス1世(1533〜1603年)も競馬を愛し、幾度も競馬場に足を運び、レースを観戦。そして、16世紀後半には英国内の10数カ所で定期的に競馬が開催されるようになる。こういった英国王室の競馬熱は、現在もロイヤルアスコットに代表される形で脈々と受け継がれてゆくようになる。

 ここで少々の脱線をお許し願いたい。

 私にとって英国で最も数多く足を運んだ競馬場といえば、やはりアスコットである。とくに、1996年9月28日にここで起きたことは忘れようにも忘れられない。

 欧州マイル路線の総決算となるクイーンエリザベス2世ステークスを頂点に7レースが開催されたのだが、この日は同時に、ひとりのジョッキーが全レースで勝利するという前人未到の快挙を成し遂げる歴史的な日ともなった。イタリア人、ランフランコ・デットーリによる「マグニフィセント・セブン」である。

 忘れもしないその最終レース。

 最後の直線コースにさしかかり、デットーリ騎手の馬が逃げ切りをはかる。そこに追いすがる馬がだんだん迫ってくる。満場総立ちになり、天にも響く轟々たる歓声。そのすさまじい轟鳴は私の耳をつんざかんばかりだった。その狂騒のなかをデットーリの馬が先頭でゴール板に飛び込んでいく。

 7戦全勝は競馬発祥国イギリスの300年の歴史のなかでも初めての快挙。あれこそは掛け値なしの歴史の瞬間だった。今でもアスコット競馬場にはそれを記念する一角が設けられている。

© Net Dreamers Co., Ltd.