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序章 スタート前

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第0章

序章 スタート前

完全再現!ディープインパクト・ラストラン

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(実況アナウンサー、以下アナ)午後3時現在、11万2518人を飲み込んだ中山競馬場。あまたの情念を包んで、師走の中山は最後の衝撃を待っています。第51回有馬記念。出走馬14頭。その中に稀代の名馬、ディープインパクトの姿があります。

―さあ、放送席の解説は、おなじみの吉田均さん、そしてルドルフ2回、そしてオグリキャップで1回。3度、この有馬記念を制してらっしゃる岡部幸雄さんをお迎えしています。よろしくお願いいたします。

―(アナ)まず吉田さん、競馬は出会いと別れの繰り返しではありますが、やはり今年は、うーん、なにか、さみしさが先に立ってしまうような、そんなグランプリではありますね。

―そうですね、さみしさもあるんですけど、やっぱりどんな走りをしてくれるのかなという、ちょっと楽しみもありますしね。

(アナ)最後にねえ。

―ちょっといつもの有馬記念とは、ちょっといつもの有馬記念とは違う気がしますね。

(アナ)さあ、岡部さん、鞍上の武豊ジョッキーはずっと、このディープにまたがり、そして岡部さんがあの、皐月賞、ダービー、菊花賞と一本ずつ指を立てていった、あの姿にあこがれ、無敗の三冠馬になり、そんな中で迎える武ジョッキーの今の心境というのは、どんな風に想像されますか?

―もうほんとに、これで最後だって思いがすごく強いと思うので、しっかり自分に焼き付けておこうって思いじゃないですか? 

<中略>

(アナ)さあ、有馬記念のファンファーレです。

―割れんばかりの歓声です。ディープインパクト、これが最後のレース。われわれに最後にどんな走りを見せて、そしてその思い出を胸に刻み込んでくれるんでしょうか?

<中略…。この間に6番馬スイープトウショウがゲート入りを嫌がるハプニングがある>

―さあ、あなたからもらう最後の夢、あなたからもらう最後の勇気。そしてあなたに送る最後の祈り。ラストラン、あなたは伝説になる……。

 誰が言ったのやら、「有馬記念のファンファーレは、競馬ファンにとって除夜の鐘のようなもの……」。でもこの言葉はまちがいなく多くの人の胸に刺さる。なにしろ1年の総決算なのだ。

 競馬という競技は世界各地で行われているが、日本の有馬記念は世界で最も馬券が売れる、売り上げナンバーワンレースであり、競馬の枠を超えた国民的行事と言い切れる側面が確かにある。

 だが、毎年12月の末、厳しい寒さの中で大レースを行う国は実は日本だけの話だ。

 日本の競馬界では長年、フランスの“凱旋門賞”にどの日本馬が出場するのかが話題になるが、毎年10月の第1日曜日に催されるこのレースは、ヨーロッパ最大の競技であると同時に事実上、その年のシーズンの“締めくくり”として開催される。

 たしかに日本ではサラブレッドの生産地といえば北海道であろうし、ヨーロッパでもアイルランドやスコットランドなどの寒冷地が馬の生産地として名高く、概して馬は寒さに強い。だが、シーズンの長さは馬の疲弊につながりかねない。しかし、日本の古来の風習(?)である“冬のボーナス”のことを考えると、やはり「年末に大レースを打ちたい」という“大人の事情”とやらがあるのかもしれない。実況の中で奇しくも語られる“あまたの情念”の中には、その種の情念も込められているのだろうか?

 それはさておき…。

 スタート前にもうひとつ。「競馬は出会いと別れの繰り返し」、この言葉についても必ずしも競馬通とは言えない方々のために少し述べておこう。

 馬は通常20年から30年は優に生きるし、それ以上の長寿馬も数多い。だが生涯ずっと現役サラブレッドとして走れるわけではない。

 「古馬」という言葉がある。

 サラブレッドは大きく分けるとすれば、古馬かそうでないかの2種類である。本人にしてみれば「古馬」などと言われ、あまり心地良くはないだろうが、ではいつから「古馬」になるのか? 実は3歳を過ぎた馬、4歳以上の馬はすべて「古馬」となる。そして皐月賞、ダービー、菊花賞はすべて3歳馬しか出走できない。人生(馬生というべきか)でもっとも脂の乗り切った、野球で言えば、“高卒ルーキー”のみが出られるレースなのである。

 その後のサラブレッドの運命は、馬それぞれだ。5、6年、いやもっと走り続ける馬もいるが、3歳の時代は永遠に戻らない。そうである以上、ファンは3歳馬にその馬のある種、集大成のようなものを早くも見てしまう。

 そもそもサラブレッドは毎年、およそ数千頭単位の馬があらたにデビューする。その中から3歳馬として皐月賞、ダービー、菊花賞のどれかひとつにでも出走できること自体がすごいことであり、しかもその3レースをすべて1着で占めるなど、並大抵のことではない。実況アナウンスが語る、騎手・武豊が「一本ずつ指を立てていった」というのは、そういう意味だ。皐月賞優勝の時点でディープはすでに十分“スター”だった。


ディープインパクト

ディープインパクト。2005年菊花賞優勝時。

 さて、2006年の有馬記念。ここでは、前年のクラシックレースすべてを1着で制した“三冠馬”ディープインパクトが、もちろんダントツの1番人気だった。オッズは、単勝で1.2倍。100円の馬券を買っても120円にしかならないわけで、いわゆる“おいしい”馬券ではない。

 だが違うのだ。

 たしかに2歳でデビューしてから3歳時の有馬記念まではずっと1着しか知らず、その後、“古馬”になってからもほぼ全レースを1着で走り抜けはした。問題は、その勝ち方だった。

 ディープインパクトはこの日を最後に、つまり5歳馬になる前に引退する。ファンにしてみれば、たった2年ほどの付き合いだった。だが、その別れを「新たな出会い、新たな馬たちとの出会い」と割り切るにはあまりにも強烈な思い出が伴っていた。実況アナウンサーが述べた「さみしさが先に立ってしまう」の言葉は、まちがいなくファン共通の思いだった。

 その辺りは章を改めて振り返ろう。さあ、スタートゲートがいま開かれる。

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