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第3コーナー

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第2章

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完全再現!ディープインパクト・ラストラン

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(アナ)デルタブルースも先行策。あるいはダイワメジャー。 そしてメイショウサムソン、こういったところも先頭集団。その後ろ、さあ、ディープインパクト、武豊はどの位置取りを取るんでしょうか? ―ディープインパクトは現在、後方3番手でレースを進めています……

 相変わらず彼は12番目あたりを走っている。もう少し昔話を続ける余裕はありそうだ。

 そう、サンデーサイレンスの話。

 サンデーサイレンスは1986年にアメリカで生まれたサラブレッドで、2002年に日本で亡くなっている。netkeiba.comで彼の項目を見ると、

  エクリプス賞年度代表馬(1989年)、エクリプス賞最優秀3歳牡馬(1989年)


 と記してあり、その後1990年に引退。以降は日本で“種牡馬”として活躍する。
 その活躍ぶりは、netkeiba.comではひと言、


  JRA総合リーディングサイアー(1995-2007年)


 と表現されている。

サンデーサイレンス

サンデーサイレンス。1989年プリークネスステークスで優勝。写真:AP/アフロ

 この辺りの説明は、競馬ライターとして名高い吉沢譲治の言葉がもっとも腑に落ちる。

「アメリカ年度代表馬に輝いたサンデーサイレンスの日本へのトレード。それを野球にたとえるなら、メジャーリーグで現役ばりばりの奪三振王、ホームラン王が、何かの間違いで日本の高校野球に入ったようなものだった。従来の成功種牡馬とはまるでレベルが違った。投げれば三振の山を築き、打てばホームランを量産した。血統常識が次々とくつがえされ、記録もまた次々と塗り替えられた」

 ここで“種牡馬”とはなにか?という問題に直面する方もおられよう。

 種牡馬(しゅぼば)とは繁殖用の牡馬のことで、要するに種馬(たねうま)だ。競馬界では、この血統が大きく物を言うし、何代にも遡って血筋がチェックされる。その辺の“馬の骨”は絶対に入れない厳しい世界だ。日本で走ったことが一度もないサンデーサイレンスは、ただ仔馬を作るためだけに日本まで連れてこられたのだ。

 日本産馬のことを「内国産馬」と呼び、それらを父に持つ馬のことを「父内国産馬」と呼ぶ、日本の競馬界。その当時の状況を同じ本の中で、吉沢は綴る―。

「サンデーサイレンスが日本にやってくる以前の父内国産馬はレベルが低く、海外の大レースで勝つなど夢のまた夢の話で、はるか後方に取り残されたまま敗れて帰国するのが当たり前だった」

 それが一転する。

「しかし、いまは父の父、あるいは母の父にサンデーサイレンスを持つ馬たちが、海外の大レースを勝って凱旋帰国することをいとも簡単にやってのけている」

 “リーディングサイアー”(英語表記はLeading Sire)とは、1シーズンの全ての産駒の獲得賞金合計額による種牡馬の順位のことで、要するに自分の子供たちがいくら稼いだか、その総額で1位になった馬のことである。そのトップの座をサンデーサイレンスは13年続けた。とてつもないDNAの持ち主、それがディープインパクトの父馬だった。

 もう少し詳述する。

 サンデーサイレンスが登場する前、計10回リーディングサイアーに輝いた馬がいたのだが、ダービー馬を1頭出したのみで、皐月賞・菊花賞には手が届かなかった。ほかにも皐月賞馬を3頭出しても、ダービー馬はゼロという馬もいた。吉沢が綴るとおり、たしかにそういうレベルだった。

 それなのにサンデーサイレンスは、皐月賞馬7頭、ダービー馬6頭、菊花賞馬も4頭、これらをいともたやすく世に送り出してしまった…。

 要するにディープインパクトは血筋的には何の問題もない。だが、いまひとつ期待薄の仔だった。それが7000万円という価格に現れた。同日に上場されたサンデーサイレンス産駒14頭中の9番目。後ろから5番目というのが、彼のそもそもの“位置取り”だった。
(扉写真:報知新聞/アフロ)

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