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伝説となった負け戦

伝説となった負け戦

第2章

伝説となった負け戦

オルフェーヴル 豪傑は本当にオンナに弱かったのか

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 本題に入る前に、ひとつだけ伝説の競馬を取り上げたい。それは、あまりにも有名なあのレース。負けてなお、驚愕の的となった2012年の阪神大賞典である。

 このレースの前年、2011年にはオルフェーヴルは史上7頭目の三冠を達成した。ディープインパクト以来6年ぶりのことだ。しかも続く有馬記念も制し、同一年のクラシック三冠と有馬記念は、ナリタブライアン以来17年ぶり3頭目という快挙である。そして2012年、本格的なリフレッシュ期間に入っていたオルフェーヴルは、秋のフランス遠征を見据えて3月18日に行われた3000mの阪神大賞典に出走した。

 このレースが伝説となったのは、オルフェーヴルが途中で失速し、しかも再びレースに復帰してからは驚異的な速さを見せたからだ。

 陸上選手の場合、今日は何メートルの競技だということは分かっている。競馬の騎手ももちろん分かっているが、馬はどうなのだろう。あらかじめ騎手に「今日は長いよー」と教えてもらうわけではなく、当然、騎手の手綱さばきのとおりに走っているのである。

 従って、通常ならば、馬が勝手に「とんだ勘違い」をしてレースを止めることなんて、あり得ないと思うのだが、オルフェーヴルはやってしまった。そこがヤンチャさんのヤンチャたる所以だろう。


負けて強さを証明する最強馬

 この日のオルフェーヴルは、ゆっくりと休養して元気は溢れている。しばらく競馬に遠ざかっていたからこそ、誰よりも早く走りたいという気負いがあったのだろう。

 レース前からイレ込みすぎていることは、池江調教師も池添騎手も把握していた。だが、そこは名手の池添騎手、はやる馬をなんとかなだめながら、3コーナー付近までは3番手の好位置をキープしていた。しかし、隣のナムラクレセントに追い抜かれると、もう我慢できない。オルフェーヴルは、「なにを!お前なんぞに負けないぞ」とばかりにスピードを上げ、一番手に躍り出た。そして、どうやらこの時「勝った!!今日のレースはこれで終わり」と思ったようなのだ。2周目の第3コーナーあたりからはコーナーを曲がろうとする気配すら見せず、外ラチ近くまで失速してしまったのである。

「どんなもんだ。休み明けでも俺の実力を思い知ったか」と得意になりたいオルフェーヴルだったが、実際には、あれよあれよという間にビリから2番目まで後退してしまった。

 ここで彼、他の馬たちはまだ本気で走っていることに、ようやく気付く。

「えっ!終わりじゃないの?」と慌てて、大外からすさまじい速さで猛ダッシュ。疾風怒濤とはこのことだ。

 そしてついに、最後の直線では大外から先頭にまで並びかかり、先頭のギュスターヴクライに半馬身差まで迫っての2着とあいなった。

 とんだ醜態をさらしてしまったオルフェーヴルだったが、奇しくも、他に類を見ない彼の天才ぶりを、この負け戦が証明する形となった。実際、レース後の池添騎手は、この日のオルフェーヴルを称して「化け物だと思った」と語っている。確かに、最後方から馬なりにほかの馬をごぼう抜きにするという離れ業を見せつけたのだ。

 もし私がオルフェーヴルの彼女だったら、「なんでそんなに慌てものなの?恥ずかしいじゃない」と言って、コツンとおでこをハジきたい。でもそのあと、「すばらしかったわ、みんなびっくりしてたわよ」と褒めて讃えていただろう。

 確かに、このレース当日は、騎手も関係者も何が起きたのかと、血の気の引く思いだっただろう。しかし、今となっては、こんなに痛快なレースはない。当時の映像を何度見ても面白い。そして元気になる。

 オルフェーヴルが現役時代の自分を振り返った時、このレースに関しては、「恥ずかしいけど、ちょっと自慢」と思っているのではないだろうか。「あれはあれで、俺らしいし、鮮やかな脚力を見せつけてやった」と彼はそう言いそうだ。

 ボケと天才ぶりを存分に発揮した阪神大賞典の後、天皇賞では何が気に入らなかったのか、終始やる気なく惨敗。それでも競馬ファンからの信頼は厚く、次の宝塚記念では単勝1番人気を得た。そして、彼はその期待に応え、みごとなレース展開で5度目のG1制覇を飾ったのである。

第60回阪神大賞典映像(2012年)

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(写真は、2012年の阪神大賞典)

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