目次

元ミクシィ社長 朝倉祐介――心に残る私の有馬記念

元ミクシィ社長 朝倉祐介――心に残る私の有馬記念

第1章

元ミクシィ社長 朝倉祐介――心に残る私の有馬記念

【無料】有馬記念特別号 〜無数のドラマ〜

目次

馬と過ごした日々が甦る名勝負――朝倉祐介さん

元ミクシィ社長の朝倉祐介さん。かつては調教助手だった

 流行りの音楽と思い出が重なるように、「あの頃の自分」とともに甦ってくるレースがあります。僕にとってのそれは、1999年の第44回有馬記念。スペシャルウィークが、グラスワンダーにハナ差で負けてしまったあの名勝負です。

 兵庫の西宮で育った僕は、阪神競馬場が近かったこともあり、自然に競馬に親しんでいました。馬も大好きでしたし、イチローさんに憧れるように、スポーツマンとしての武豊さんに憧れていました。

 そして、「自分も競馬の騎手になりたい」との夢を持ち、オーストラリアの騎手養成学校に入学。現地の調教師のもとで調教も任されるようになって「やれるかも」と希望を抱いていたのですが、人間、自分ではどうしようもない事もあるものです。なんと身長がみるみる伸び、それを止めようと食事を控えているうちに倒れてしまいました。やむなく騎手の道を断念して、帰国。知り合いのツテを頼りに、調教助手として北海道浦河町で働くようになったのです。

 もともと、騎手養成学校時代から「強い馬を育てる」ことに興味があったため、「自分は育てる方が好きなのかもしれない」と感じていました。ところが、そんな折、不運にも交通事故に遭い、大手術の末、4カ月の入院。馬を育てる仕事への道も断たれてしまったのです。

 第44回有馬記念は、退院直後のリハビリ中に見たレースです。まだ自分が、競馬に近いところにいた時期ですし、メンバーは百花繚乱の名馬揃い。1・2番人気の馬が見せたシビレるレース展開に興奮し、元気をもらいました。その力が、進学からビジネスの世界へと、新たな自分の道を見据えるきっかけになってくれたような気がします。

掘り下げたい「スポーツの祭典」としての楽しさ

 もうひとつ、有馬記念で衝撃を受けたのは、2013年オルフェーヴルのラストランです。まだまだ走れる圧倒的強さでの幕引き、その雄姿には感動を覚えました。

 競馬の仕事から離れた現在も、馬と接していた時期の経験は大いに役立っています。特に、経営や人材育成に関しては、馬と共通する点が多いと、常に感じる毎日です。

 ひとりの競馬ファンとなった僕の楽しみ方は、ギャンブルというよりスポーツの祭典としての意味合いが強い。凱旋門賞やケンタッキーダービーにも行ったことがありますが、欧米では、競馬のビッグレースは、それ自体がひとつのイベントであり文化になっている。日本でもダービーや有馬記念は独特の雰囲気で、「祭り」としての特色が出ていますが、文化の厚みという意味ではまだ浅く、客が馬に親しむ機会も少ない。そうした面を充実させれば、日本の競馬もファンのすそ野が拡がり、魅力が倍増するのではと期待しています。

朝倉 祐介
シニフィアン株式会社 共同代表 政策研究大学院大学 客員研究員
1982年、兵庫県西宮市生まれ。中学卒業後、騎手を目指して渡豪。その後、競走馬育成牧場の調教助手、東京大学、マッキンゼーを経て、自身が学生時代に起業したネイキッドテクノロジーの代表に就任。ミクシィへの売却に伴い入社後、代表取締役社長。業績を回復させた後に退任。スタンフォード大学客員研究員を経て現職。 著書に、「論語と算盤と私―――これからの経営と悔いを残さない個人の生き方について」(ダイヤモンド社)など。


© Net Dreamers Co., Ltd.