競馬歴10年を超えたタレントの矢部みほさん。父親は地方競馬のジョッキーだった
もう大ブーイングでした、あの瞬間。ハーツクライが先頭でゴールを割って、ディープインパクトが2着に入った瞬間、中山競馬場が揺れました。ルメール、空気読め!みたいな。みんな、顔がどんよりして(笑)
もちろん、今はわかります。勝負なんです、そうなんです。
ただあれほど、競馬場が一体感に包まれた気分は、以来味わっていません。みんながディープを見ていた。ディープだけを見ていた…。
当時の私はまだ20代で、競馬のこともまだまだ初心者並みの女の子でした。
私は生まれが北海道で父親が地方競馬の騎手だったし、小さいころから厩舎に住んでいたんです。でも私はそんなに日常的に馬に触れる生活ではなかった。馬ってとても臆病だし、病気にもなるし、育てるの大変なんです。
それが16歳で芸能界に入り上京、その後グリーンチャンネルさんからお仕事をいただいて、初めて競馬にまともに触れたのが2005年の京都での若駒ステークス。ディープの2戦目でした。ほかの馬が止まって見えるほどの速さに衝撃を覚えました。当時、競馬はまったく詳しくなかったんですが、もう、それ以来。
来る日も来る日もディープ。人間のカレシよりディープ(笑)。グリーンチャンネルさんの仕事は3か月で終わったんですが、その後もディープの文字通り“追っかけ”になって。東京と中山のレースは全部見ています。当時「飛んでる」って言葉がありましたよね。ああいう言葉に女の子は弱い。100年に一度と周りは騒いでいましたし。
ホント、いい時に競馬に巡り合えたなと思っています。グリーンチャンネルの仕事をしたおかげで競馬関係者の方とも広く知り合いになれて、2006年の阪神大賞典では優勝後の口取りに参列させてもらったんですよ。
ディープは私にとって、まさしく人生の節目になってくれました。今も競馬関係の仕事は多いですし、世田谷区で経営している店は競馬ファンにも支えられています。ですからディープは今でも私にとっては別格。
有馬記念に関しては、もちろん翌年の引退レースも見ています。でも私にとってはやっぱりあの唯一の敗退だからこそ、今でも心に刺さっている、そんな気がしています。もうあんな馬には巡り会わないだろうな。
2005年有馬記念映像
矢部みほ
1977年、北海道生まれ。92年雑誌コンテストでグランプリを受賞し、芸能界入り。以降、バラエティ番組やグラビアを中心に活躍。現在はドラマ、舞台、写真集等幅広く活動を続ける。「アウト×デラックス」(フジテレビ)に出演中。趣味は料理、ショッピング、ギャンブル全般、ゴルフ。父親が元地方騎手で自身も厩舎育ちという環境もあり、とくに競馬には造詣が深い。
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