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第7章
もちろん漱石は無事に日本に帰ってくる。明治36(1903)年、36歳のとき。そして、東京帝国大学の講師となる。 明治38(1905)当時、日本の世論はかなり怒っていた。 日露戦争がこの年の9月に終わったものの、ポーツマスで行われた講和条約に日本国民は大いに不満だった。長期にわたる戦争と増税に苦しんできた国民にとって、ろくに賠償金が取れなかった不満の矛先は、
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