2017(平成29)年12月24日、第62回有馬記念。白い帽子のキタサンブラックは好スタートを切って先頭に立ち、後続に1馬身半差をつけて逃げ切り勝ちを収めた。鞍上の武豊騎手が右鞭を上げ、勝利の喜びを体で表現する。それはまた、競馬の歴史が16年ぶりに動いた瞬間だった。
2017年有馬記念
このレースでの勝利により、キタサンブラックの生涯獲得賞金は18億7684万3000円となり、テイエムオペラオーの獲得賞金18億3518万9000円(秋三冠の褒賞金1億円を除く)を抜いて、獲得賞金額歴代トップに躍り出た。テイエムオペラオーの引退は2001(平成13)年。キタサンブラックは、16年ぶりに獲得賞金の記録を塗り替えたのだ。
まさに歴史的名馬キタサンブラックにふさわしい記録だ。
<賞金ランキング(2018年2月現在)>
だが、同時に不思議な感覚にもとらわれる。この16年の間、キタサンブラックに優るとも劣らぬ名馬は数多くいたはずだ。歴代獲得賞金ベスト10を見ると、錚々たる名馬たちの名がずらりと並んでいる。
なぜこれらの名馬たちは、獲得賞金でテイエムオペラオーに追いつけなかったのか。そして、なぜキタサンブラックはテイエムオペラオーに追いつき、抜き去ることができたのか。
その理由を探る前に、まずは居並ぶ名馬たちが16年間も追いつけなかったテイエムオペラオーとはいかなる馬だったのかを思い出してもらうべく、その生涯を振り返ってみたい。
テイエムオペラオーは1996(平成8)年3月13日、北海道浦河郡浦河町にある杵臼牧場で生まれた。ちなみに、3月13日というのは、史上初の7冠馬シンボリルドルフと同じ誕生日である。
テイエムオペラオーの父はオペラハウス、母はワンスウエド、母の父はBlushing Groom(ブラッシンググルーム)という血統である。
母ワンスウエドは、杵臼牧場の場長、鎌田信一が初めて海外のセリ市に出掛けた際に購入した繁殖牝馬だった。杵臼牧場は、家族と数人のスタッフで切り盛りする牧場で、大牧場のように潤沢な資金があるわけではなかったので、手頃な金額の馬の中から選ぶしかなかった。
ぼってりとしたお腹がいかにも繁殖牝馬向きだと思った鎌田場長は、安価な繁殖牝馬ワンスウエドを購入して帰国の途に就いた。
このワンスウエドの相手として鎌田場長が選んだのが、日本軽種馬協会が所有するオペラハウスという種牡馬だった。
日本軽種馬協会所有の種牡馬は、種付け料が安い。家族経営の杵臼牧場には、安い種付け料は魅力だった。もちろん、オペラハウスの「晩成型で長い距離でももつ馬」という特徴が最大の魅力だったのだが、決断の背中を最後に押してくれたのは、やはり手頃な「価格」だった。
ワンスウエドは翌年、無事に栗毛の牡馬を産む。
この栗毛の誕生から10日ほど経ったある日、後にテイエムオペラオーのオーナーとなる竹園正繼氏が杵臼牧場を訪れた。仔馬の購入のためだった。竹園氏はこのワンスウエドの栗毛の仔を見るなり、たいへん気に入り、鎌田場長に「買いたい」と言った。
しかし、このとき鎌田場長は「はい、わかりました」と言うわけにはいかなかった。日本軽種馬協会所有の種牡馬の子はセリ市に出すことが義務付けられているからだ。
「気に入っていただいたのはうれしく思います。ですが、この馬はオペラハウスの仔なので、セリ市に出さなければなりません。ぜひ、セリ落としてください」
そして、セリ市。竹園氏は初志貫徹で、このワンスウエドの栗毛の仔をセリ落とした。落札価格は1050万円。まさかこの1050万円の仔馬が、後に賞金王、しかも世界一の賞金王(当時)になるなどとは、このとき誰一人として思ってもいなかったのである。
(写真:2017年有馬記念)
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