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日本調教馬、“もうひとつの海外挑戦史”

日本調教馬、“もうひとつの海外挑戦史”

第1章

日本調教馬、“もうひとつの海外挑戦史”

世界に挑んだサムライサラブレッド 〜Part3・アジア/オセアニア編〜

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 日本から見て「競馬の本場」といえば、芝レースならヨーロッパ、ダートレースなら米国というのが一般的感覚と言えるだろう。しかし、かつて「地球の陸地の3分の1を支配する」といわれた大英帝国の影響もあって、競馬は世界中で開催されている。

 本書では、大英帝国の強い影響下にあったアジア・オーストラリアでの日本調教馬の熱闘を振り返りながら、いまではすっかり定着した感のある“もうひとつの海外挑戦史”を改めて振り返ってみよう。

 まずは、7階建ての壮観なスタンドを誇る、香港・ハッピーバレー競馬場を眺めることから始めよう。開場は1846年。日本では幕末の開国後に横浜の外国人居留地で最初の洋式競馬がおこなわれ、1866年に開場した横浜・根岸競馬場が国内初の常設競馬場とされているので、香港の競馬は日本よりも20年ほど長い歴史を持つことになる。

 香港と同じように英国の植民地だったシンガポールでも競馬の歴史は古い。今では数多くの商業施設でにぎわうファラーパークで最初の競馬がおこなわれたのは1843年のことで、現在ではシンガポール島北西に位置するクランジ競馬場(1999年開場)でシンガポール・ダービー、シンガポール航空インターナショナルC(いずれもG1)などのレースが開催されている。

 そしてオーストラリアのフレミントン競馬場も挙げる必要がある。メルボルン郊外に1840年に開場され、メルボルンカップをはじめとする大競走が開催される、オセアニア競馬の中でも最大級の規模を誇る競馬場だ。

 こうした競馬場で日本のサムライ・サラブレッドたちはどのような闘いを演じたのだろうか。まずは、香港・シンガポールでビッグレースに挑んだ日本調教馬の足跡を追いながら、さらにオーストラリアで重賞初勝利を挙げた、あるサムライ・サラブレッドの力走にも迫っていこう。

(扉写真:2016年インターナショナルジョッキーズCS オープニングセレモニー/ハッピーバレー競馬場)

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