昭和53年、池江は調教師試験に合格。騎手時代は仕事ばかりだったので、開業前に外国の競馬に触れ、見識を広げたいと渡米した。そこで池江は、これまでの経験を覆されるようなカルチャーショックを受けた。馬の調教も飼料も、そして牧場の広さも、日本とは違うことばかりで驚きの連続だったのだ。スケールが違ったし、日本ではできないことをアメリカではどんどんやっていた。種牡馬として繋養されていたセクレタリアトやシアトルスルーも見た。どの馬も素晴らしい馬格をしていた。
帰国後、昭和54年に厩舎を開業。開業からしばらくは、自身で調教にも騎乗していた。そのなかにデビューの頃から体が柔らかく、乗り味が他と比べて全然違った馬がいた。
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