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世界に飛翔する日本競馬

世界に飛翔する日本競馬

第11章

世界に飛翔する日本競馬

世界史から学ぶ競馬(下)

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 最後に、日本の競馬のことも語っておこう。

 日本は騎馬遊牧民が勇躍したユーラシア大陸から切り離された島国である点で、騎馬軍団の戦術的活用や馬産の面で後進国であった英国と、似た環境にあったということができる。ただ、違いは江戸時代の鎖国政策があったため、その状況が19世紀後半まで続いたところにある。

 しかし幕末、鎖国が解かれ米国人、続いて英国人も日本に来るようになると、1866年には横浜に根岸競馬場が常設されている。ここを訪れた英国人が、次のような書簡を残している。

 グランド・スタンドからの眺めは絶景である。右手と左手には緑の田園が広がり、前と後ろには、無数の白帆が浮かぶまるで絵のような海面が見える。イギリスでは、グッドウッドがもっとも美しい競馬場と呼ばれているが、横浜の根岸競馬場のほうがはるかに優り、これほど素晴らしい競馬場はかつて見たことがない(Japan Weekly Mail、1870年11月12日)

 当時の根岸競馬場の様子を描いた錦絵がある(馬の博物館所蔵)。これを見ると確かに、根岸の高台から富士山と太平洋が眺められる素晴らしい景観だったことがわかる。しかし、そこでどのような競馬が行われていたかというと、やはり馬の資質で劣っていたことは否めない。

 明治政府は清国、ロシアを相手に戦争し、いずれも勝利したが、もともと清は騎馬遊牧民の築いた国家であり、ロシアも優秀なコサック騎兵軍団を擁していた。大陸での戦闘で日本は苦戦を強いられた。日本軍が多くの犠牲者を出した奉天会戦を研究したヨーロッパのある兵法研究家は、「もし、日本軍に騎兵1師団があったら、ロシアは無条件降伏しただろう」と語っている。逆にいえば、それほど日本の軍馬の質、また兵士たちによる馬の扱い方が拙劣だったということだ。

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