結果として、1993年の有馬記念が事実上、彼の引退レースとなった。
1994年に入り、春のレースに向けた調整中に右脚に筋肉痛を起こし、レースを回避。その後、左脚の故障が判明する。なんと4度目の骨折だった。そこで関係者は、秋の天皇賞をラストランと決めた。
しかし…。
「引退を決めたのは8月の末ぐらいでしたね。そのとき二風谷(にぶだに、北海道にある軽種馬育成センター)に行きまして、軽い調教を始めたんですけど、まだ右脚を気にしているところがありましたし、その時点でもう天皇賞まで2か月しかありませんでしたから…」(松元調教師)
引退セレモニーは1994年10月23日、東京競馬場で行われた。
トウカイテイオーは、ゼッケン“20番”を背にしてラストランを披露した。そのゼッケンは、そう、彼が1991年5月の日本ダービーで出走したときに付けていた番号だった。
その姿をリアルタイムで見ていた方の言葉を引いておこう。
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