さて、ここからが本題だ。オルフェーヴルの「本当なら、ちょっと他人に指摘されたくない歴史」に触れていこう。つまり、オルフェーヴルは、本当に女に弱かったのかという疑問だ。
宝塚記念を勝利したことで、彼の凱旋門賞の参戦は確定となった。フランスに旅立つための準備は万端。残念ながら、鞍上は池添騎手からクリストフ・スミヨン騎手に交替したが、凱旋門賞の前哨戦として挑んだフォワ賞では、みごとに優勝。さい先のよいスタートに見えた。
2012年の凱旋門賞では、レースの日が近づくにつれて、何頭かの有力馬が怪我や熱発で出走を回避していたが、オルフェーヴルは元気だった。快適に順調に、フランスでの調整の日々を送っていたのだ。
そして、10月7日の第91回凱旋門賞の日を迎えた。
我らがオルフェーヴルは、大外枠からのスタートとなり、後方2番手に待機しながら落ち着いてレースを進めていた。その後は、第3コーナーにさしかかった頃、馬群が縦長の列になっていったのを機に、徐々に追い上げ、大外からポジションを上げて行く。さらには、残りの約300メートルで颯爽と先頭に立ち、そのままグイグイと後続の馬を突き放しにかかったのだ。
行けるゾ!ついに日本の馬が、凱旋門賞を制する日が来たのだ。日本人だけではない、世界の誰しもがそう思った瞬間だった。
だが、ここで悪夢が忍び寄る。
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