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上野不忍池競馬

上野不忍池競馬

第3章

上野不忍池競馬

漱石と競馬をめぐる一考察 横浜〜上野〜ロンドン

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 明治17(1884)年11月1〜3日、上野不忍池の周囲に登場した競馬場で、初めての開催が行われた(どうやら桑茶園にはならなかったようだ)。主催は明治12(1879)年に設立された共同競馬会社、英語名はUnion Race Club。

 会社役員には、宮家や元藩主を始め、伊藤博文、西郷従道、松方正義らの政府高官や三菱、三井などの財界人がこぞって名を連ねている。会社の会員数は外国人52名を含む606名。

 "鹿鳴館(ろくめいかん)"をご存じだろうか。

 鹿鳴館はそれまでの日本には国賓や外国の外交官をもてなすための建物がなかったため、明治17年、まさに上野不忍池競馬と同じころ、明治政府によって建てられた。煉瓦造りの2階建てで1階に大食堂、談話室、書籍室などがあり、2階にある舞踏室は最大で広さ100坪ほどになった。バーやビリヤードも設備されていたこの建物内には同時に社交クラブとして"東京倶楽部"というものが設立されているのだが、その

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