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第二次競馬ブームの幕開け その1

第二次競馬ブームの幕開け その1

第7章

第二次競馬ブームの幕開け その1

有馬記念で振り返る競馬ブーム(上)

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最後の“芦毛対決”でリベンジを果たす

 1987年5月19日、岐阜県笠松町の笠松競馬場に1頭の芦毛馬がデビューした。新馬戦と4戦目こそ2着だったが、それ以外は全て圧勝、7連勝を含む11戦9勝2着2回という「どえりゃあ」成績で2歳のシーズンを終えた。

 馬の名はオグリキャップ、馬主の小栗孝一は岐阜の実業家で、1970年頃から馬を持ち始め、地元の笠松競馬場で走らせていた。オグリキャップは小栗の持ち馬だった芦毛のホワイトナルビー(父:シルヴァーシャーク、母:ネヴァーナルビー)に、これも芦毛の種牡馬ダンシングキャップ(父:ネイティヴダンサー、母の父:グレイソブリン)を配合し、1985年3月27日に生まれた牡馬である。

 生産者はホワイトナルビーの預託先、北海道三石町(現・新ひだか町三石)の稲葉不奈男である。ホワイトナルビーは繁殖牝馬として優秀で、ほぼ毎年産駒を出産し、オグリキャップの3歳上の兄オグリイチバン(父:ダンサーズイメージ)は笠松で7勝を上げる活躍をした。馬主の小栗は「弟も兄ぐらい走ってくれたら」と思い、生産者の稲葉の意向で同じネイティヴダンサーの直仔ダンシングキャップを配合したのである。

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