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教養と競馬場通いの日々

教養と競馬場通いの日々

第1章

教養と競馬場通いの日々

世界史から学ぶ競馬(上)

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 日々、競馬を楽しんでいらっしゃる皆さんはご存じだろうか?

 今、世間は“教養ブーム”であることを。

 書店で棚を眺めれば、「教養としての○○」「大人の教養」「これからの教養」といった類の書籍がすぐ目に入るし、テレビなどのメディアでも視聴者の“教養”を試すような番組が多い。これはインターネットなどで混濁様々な情報が飛び交うなか、本当の知識や情報を求めるニーズが増えてきたためだろうか?

 そのていでいえば、筆者なぞは東京大学と早稲田大学で長年にわたり教養学部の教授を勤めていたわけだから、我ながらずいぶんと“教養”を溜め込んだものと苦笑するしかない。実際、この春に上梓した書籍のタイトルは『教養としてのローマ史の読み方』であるし、過去にも“教養”と銘打った書籍を出している。

 もっとも、私はここで日本全国の競馬ファンに“教養”を押し付けるつもりはない。確かに私は自著のなかで、

「グルーバルスタンダードの“教養”は、“古典”と“世界史”だと思っています」

 と、再三にわたって書いている。長い年月にわたって、多くの人に読み継がれてきた文芸や思想の作品である「古典」には、人間社会の普遍的な真理が詰まっているし、一方の「世界史」は人類の経験の集大成に他ならないからだ。過去五千年にわたる文明史からは、個人の経験より遥かに多くのことを学ぶことができる点、私は信じて疑わない。

 それはそれとして。

 私は、他にも少々変わったタイトルの書籍を過去に書いている。『馬の世界史』と『競馬の世界史』の2冊である。

 競馬は、私にとってのもうひとつのライフワークである。

 出会ったのはまだ学生の頃、父親にいわれて府中の競馬場に馬券を買いに行ったのがキッカケだった。そのときの、広々とした美しい環境とそこを翔るサラブレッドの姿に魅せられた。以来、幾星霜。筆者の馬券運は自慢できるようなものはほとんどないが、専門である古代ローマ史研究の名のもと、ヨーロッパの競馬場にはずいぶんと足を運んできたのはまぎれもない事実である。

 一応、弁明めいたことをいえば、これすべて、夏の休暇のたびにロンドンにある文書館に出向いて仕事をするのを長年続けたためである。そうなると、週末にはアスコット競馬場などへ足を運ぶことになってしまうわけである。

 試みに、今までに訪れた世界の競馬場と主なレース名を少し並べてみる(2017年4月現在)。

 ◆イギリス

・アスコット(キングジョージ、ロイヤルアスコット)
・ニューマーケット
  —ローリーマイル・コース(春・秋)(1000ギニー、2000ギニー)
  —ジュライ・コース(夏)(ジュライC)
・エプソム(英ダービー、英オークス)
・サンダウン(エクリプスS)
・ドンカスター(セントレジャー)
・グッドウッド(サセックスS)
・ヨーク(インターナショナルS)
・エイントリー(グランド・ナショナル)
・ニューバリー
・ケンプトンパーク
・リングフィールド
・チェスター

 ◆フランス

・ロンシャン(凱旋門賞)
・シャンティイ(仏ダービー)
・ドーヴィル(ジャック・ル・マロワ賞)
・ヴァンサンヌ(トロット・レース)

 この他にも、アイルランド、イタリア、ドイツ、アメリカなどとまだまだリストは続くわけだが、とりあえずこれぐらいにしておこう。

 このうち、アスコット競馬場などは7月末のイギリス競馬最高峰レース、通称キングジョージを20回以上は観戦しており、いったい合計で何回足を運んだか、もはや数える気にもならない。

 そこで私は、名馬たちのドラマを数多く目にした。どれも私にとってかけがえのない財産である。とくに、歴史の瞬間ともいえる場面は、今もって脳裏に焼き付いて離れない。今日は特別講義でもあるし、まずはその思い出から話を始めたい。

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