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20万人が熱狂した古代ローマ競馬

20万人が熱狂した古代ローマ競馬

第6章

20万人が熱狂した古代ローマ競馬

世界史から学ぶ競馬(下)

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「ローマの歴史のなかには、人類の経験のすべてが詰まっている」

 これは丸山眞男氏(政治思想史学者:1914〜1996年)が、今から40年ほど前のある対談のなかで語った言葉である。そのなかで丸山氏は、「人類が経験することは全部、すでにローマ史のなかで経験してしまっている。だから、ローマ史というのは、ある意味、歴史ないし社会科学の壮大な実験場だといえる」といった内容の話をしていた。私は大学院生のときにこの対談を読み、深く感銘したのを今でも覚えている。実際、ローマの歴史では、文明の雛形といっても過言ではない完璧なプロセスで、歴史の起承転結が展開されている。

 イタリア半島で生まれた小さな部族国家が、ラティウム(イタリア中央西部地方)を統一し、イタリア半島からやがては西地中海に覇権を伸ばし、カルタゴと戦い、ついには地中海全体を呑み込んで大帝国を打ち立てる。そして帝政期になってから、短く見ても500年近く、1453年に滅亡したビザンツ(東ローマ)帝国まで考えれば、1500年も続いていくことになる。

 ところで皆さんは、『ベン・ハー』という映画をご覧になったことがあるだろうか。1959年に製作された古代ローマを舞台としたアメリカ映画である。このクライマックスが戦車競走。4頭の馬を操って、二輪車を引かせる壮絶なレースが8分近くにわたり、延々と続いている。

 一頭でも大変なのに、4頭を操るなど現代人にはとてもできない芸当だろう。例えばコーナリングでは、内側を走る馬と外側を走る馬で、上手に速度を変えなければタイムロスが生じるし、それぞれの馬の性格も考慮する必要がある。だからこそ、人々は御者の「技術」に注目して観戦した。馬そのものではなく、人に対する興味があったわけである。

 もっとも、馬に荷車を引かせる発想はローマ人の発明ではない。前4000年紀後半のメソポタミアにすでにその痕跡がある。戦車は、世界史の舞台に登場した初めての複雑な武器だった。車両の管理や馬の制御を専業とする戦士の養成には、長い時間と多額の費用が必要とされたであろう。このため、戦車に乗る戦士の気高さや勇気には敬意が払われ、彼らの地位は高まるばかりだった。

 ここにまさしく“武人”というエートスを身につけた人間類型が誕生したのである。

 この出来事は、単に新しい階層の出現のみならず、人間の精神や意識の底流に、まったく新しい観念を刻み込んだ。それは「速度」という観念であり、それを通じて人間は世界の広がりを新たに感知できるようになった。戦車の出現によって、古代国家は旧知の風土を越えて領地拡大を狙う帝国主義に転じることになった。

 もっとも、映画『ベン・ハー』の時代は古代ローマ。それも「パクス=ロマーナ」(ローマの平和)と呼ばれる時代の話である。この頃には地中海世界におけるローマの覇権は確立されており、人々はいわゆる「パンとサーカス」(panem et circenses)という言葉に代表される、空前の繁栄を享受していた。この場合の“パン”は豊富な食糧を指し、“サーカス”は(曲芸ではなく)楕円形の競技場を意味する。そう、戦車競走が行われるサーキットのことだ。

 現代も残るローマ時代の遺跡に「チルコ・マッシモ」というものがある。

 ローマ時代の闘技場といえば、剣闘士興行のコロッセオが有名であるが、ここの収容人数が約5万人だったのに対し、チルコ・マッシモには20万人ほどが観戦した記録がある。ただ、学者のなかには50万人は収容できたと考える人もおり、いずれにせよ、さぞや壮観だったことだろう。チルコ・マッシモの場合もそうだが、当時の競馬場はコーナーが180度の急旋回であり、危険かつスリリングだった。事故に巻き込まれずにレースを終えるのが至難の業だった。

 また、戦車競走は古代オリンピックの花形競技だった点も忘れてはならない。戦車競走は最終日に行われることが多く、それだけに注目の高い種目であり、勝者は大変な名誉を手に入れていた。

 例えば、ローマ時代のこんな碑文が残っている。

 …彼は、24年間で4257回にわたって戦車御者として出走した。
全勝利数1462回。そのうち開演競走で110勝。各組一両競走で1064勝。重賞競走92勝。そのうち、6頭立て競走での3勝を含み300万円賞金レースで32勝…

 このように御者の技量が褒めたたえる内容だが、じつは最も讃えられたのは馬主であった。名馬を所有し、腕利きの調教師や御者を雇える財力こそが勝敗の決め手と考えられていたのだ。そうして賞金が御者ではなく、戦車の所有者の手に渡るようになったローマ時代の賞金配当システムが、今日の競馬を形作っていく。

 もっとも、馬とスポーツの観点からいえば、戦車競走以外で馬が使われたスポーツとしては馬術競技がある。これは近代になってから盛んになったもので、狩りの延長であった。障害を飛び越えるなど、狩りではいかに馬を巧みに扱うかが重要であり、その技術を競い合い、高め合うなかで誕生したのが、サラブレッドである。次章からは、一気に近代競馬の歴史に話を進めていこう。

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