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脈々と遺伝してきた「やんちゃ」

脈々と遺伝してきた「やんちゃ」

第1章

脈々と遺伝してきた「やんちゃ」

その“もどかしさ”が好きだった 〜ステイゴールド物語〜

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 名前には「ゴールド」の文字。でも、レース成績は50戦して「シルバー」が12回、「ブロンズ」が8回。この、名前と実績とのギャップこそ、ステイゴールドが多くの人に愛された最大の理由に違いない。いいところまで行きながらもなかなか勝てない馬のファン心理は、学校の三者面談で「この子は“やればできる子”なんです」と先生に叫びたくなる親の心境に似て、深い愛情と限りない信頼に満ちている。

 先生はいう。「もう少し落ち着きが出てくれば、お勉強にも集中できると思うんですけどね」。わかっています。わかっているので、あとちょっとだけ、成長を待ってあげたいんです。この子は将来、きっと世界で活躍するようになります。この子の才能を信じてあげたいんです。

 のちにステイゴールドと名付けられることになる黒鹿毛の牡馬は、1994年3月24日、北海道白老町の白老ファームで生まれた。父サンデーサイレンス、母ゴールデンサッシュ、母の父ディクタスという血統。母馬のゴールデンサッシュは、1988年にマイルチャンピオンシップを勝ったサッカーボーイの全妹だ。

 ここに挙げたステイゴールドの近親馬たちだが、揃いも揃って見事なまでに気性の荒い馬ばかり。サンデーサイレンスの気性の荒さは有名だが、母ゴールデンサッシュもなかなかのもので、種付け時、発情していても種牡馬に対して攻撃的で、噛みついて追い払おうとすることもあったという。全兄サッカーボーイも気性の荒さでは有名で、仔馬時代の牧場関係者も「見たことがないほど」の気性の荒さだったと証言している。

 さらに、この兄妹の父ディクタスも気性の荒い馬だった。イギリスの3冠馬ニジンスキーの引退レース(チャンピオンステークス)で、絶対的な一番人気のこの馬を出走前の馬場で追いかけ回し、消耗させたというエピソードがあるほどだ(ニジンスキー2着、ディクタス4着)。

 そんな血統のステイゴールドも、当然のように気性の荒い馬だった。母馬の後ろを追っていた仔馬時代はともかく、離乳して、育成牧場であるノーザンファーム空港牧場へと移ると、押さえていた蓋を開けたように、激しい気性が誰にでもわかる形で顕れるようになった。

 ブレーキング(馴致)はどんな馬に対しても、馬が馬具に慣れ、背中の重みに慣れるまではとても慎重に行われる。馬はここで、自分の背中には人が乗るのだということを覚えるのだが、ステイゴールドはなかなか自身の背に人を乗せようとしなかった。

 とにかく、乗れば振り落とすの連続。立ち上がるのは当たり前。放牧場では、他馬を追いかけ回して、乗っかったり、噛みついたり。やがては、馬房にあった治療用の高額機器を蹴飛ばして破壊するなどということまでやらかす始末だった。

 一言でいえば「やんちゃ」だったわけだが、この荒い気性の「やんちゃ」ぶりはステイゴールドの長い競馬人生にずっと付き纏う問題となった。いや、もしかしたら、この「やんちゃ」のコントロールは彼の一生のみならず、産駒たちの一生にも大きな影響を与えるものになったといえるかもしれない。

■プロフィール
馬名:ステイゴールド
生誕:1994年3月24日
生産地:白老町
生産者:白老ファーム
馬主:社台レースホース
管理調教師:池江泰郎(栗東)

■血統
父:サンデーサイレンス
母:ゴールデンサッシュ
母の父:ディクタス

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