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記録が語る有馬記念 絆編

記録が語る有馬記念 絆編

第12章

記録が語る有馬記念 絆編

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■親子による勝利

・騎手
武邦彦(1976年 トウショウボーイ)
武豊(1990年 オグリキャップ、2006年 ディープインパクト)

・調教師
野平省三(1969、1970年 スピードシンボリ)
野平祐二(1984、1985年 シンボリルドルフ)

池江泰郎(1987年 メジロデュレン、2006年 ディープインパクト)
池江泰寿(2009年 ドリームジャーニー、2011、2013年 オルフェーヴル)

須貝彦三(1982年 ヒカリデュール)
須貝尚介(2012年 ゴールドシップ)

2012年のゴールドシップは須貝彦三師・須貝尚介師の親子制覇でもあった(撮影:下野雄規)

「名人」武邦彦と「天才」武豊の親子制覇は、いずれのレースも華やかな印象が残っているのはなぜだろう。武邦彦騎手はトウショウボーイ以前にも、ダービー馬ロングエース、二冠馬キタノカチドキで出走しているが、いずれも8着と敗退しており、テンポイントを下したこの勝利で名実共に関西No.1ジョッキーの称号を手に入れた。だが、そのトウショウボーイの引退レースとなった翌年は、テンポイントに雪辱され、惜しくもその花道を飾ることはできなかった。しかし、孝行息子の武豊によるオグリキャップとディープインパクトの2勝は父が果たせなかった名馬の引退を飾るに相応しい名騎乗であった。

 野平父子、池江父子についてはすでに書いた。

 須貝彦三調教師は騎手時代、タイテイムの天皇賞制覇など304勝を挙げ、関西の中堅ジョッキーとして活躍し、調教師になってからも高松宮杯(G2 中京芝2000m)を勝ったカズシゲや、ホクセイシプレー(阪急杯)などの多くの活躍馬を手がけたが、G1制覇はこのヒカリデュールの有馬記念だけである。ヒカリデュールはサラ系(5代母にあたるバウアーストックがオーストラリアからの輸入された際に血統書が紛失したため、サラブレッドであろうという推測のもと「サラブレッド系種」と表記され、当時こういったケースの馬は、血統的に低い評価をうけた)であったが、大井、船橋、東海などの地方競馬で7勝を上げ、期待されて中央入りした活躍馬で、天皇賞・秋(東京芝3200m)でメジロティターンの2着、ジャパンCではハーフアイストの5着(日本馬最先着)し、この有馬記念では最後方から一気の追い込みで快勝した。

 父の跡を継いだ須貝尚介調教師も騎手時代はハクタイセイのきさらぎ賞などを302勝を上げたが、惜しくもG1勝利は果たせなかった。しかし、調教師に転身してからの活躍は目覚ましく、G1勝ちはゴールドシップによる6勝、ジャスタウェイでは海外G1を含む3勝など、もうすでに12勝、他グレードレースでは17勝を挙げている。

■騎手と調教師での勝利

保田隆芳
騎手(1957年 ハクチカラ、1966年 コレヒデ)
調教師(1976年 トウショウボーイ)

野平祐二
騎手(1969、1970年 スピードシンボリ)
調教師(1984、1985年 シンボリルドルフ)

 この記録を達成した二人のホースマンも、日本競馬の歴史を語る上で欠かせない伝説的な存在である。どちらもハクチカラ、スピードシンボリという相棒と海外に遠征した先駆者であり、特に保田騎手は現在の主流となっている騎乗スタイルである「モンキー乗り」をいち早く習得し、帰国後日本に紹介した功績は多大である。

■競走馬・親子による勝利

シンボリルドルフ(1984、1985年)
トウカイテイオー(1993年)

ディープインパクト(2006年)
ジェンティルドンナ(2014年)

ディープインパクト(2006年)
サトノダイヤモンド(2016年)

■競走馬・兄弟による勝利

ドリームジャーニー(2009年)
オルフェーヴル(2011、2013年)

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