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記録が語る有馬記念 連覇編

記録が語る有馬記念 連覇編

第7章

記録が語る有馬記念 連覇編

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今年で第62回を迎える有馬記念。この中央競馬の1年を締め括ってきた最後の大一番では、これまでファンに選ばれた名馬たちによって、幾多の熱戦が繰り広げられてきた。60年以上の歴史あるこのレースの記録から、果たしてどんなことが見えてくるだろうか。興味深い数々の記録を眺めながら、それぞれのレースを思い浮かべてみることにしよう。

 創設以来61回を数える有馬記念の歴史の中で、2回制覇を成し遂げた馬は以下の6頭しかいない。

スピードシンボリ(1969、1970年)
シンボリルドルフ(1984、1985年)
オグリキャップ(1988、1990年)
グラスワンダー(1998、1999年)
シンボリクリスエス(2002、2003年)
オルフェーヴル(2011、2013年)

 こうして見ると、いずれも時代を代表する名馬と言えよう。

 史上初の連覇を達成したスピードシンボリは、この前にも1966、67、68年と3回有馬記念に選ばれて出走し、3着、4着、3着と入賞を繰り返し、特に1967年は1番人気に推されての4着敗退であった。それだけに陣営の有馬記念にかける思いは深く、ようやく6歳となった1969年に念願の初制覇を果たし、7歳となった1970年には自身の引退レースにこのレースを定め、見事連覇という偉業を成し遂げたのである。

第15回有馬記念 2年連続で優勝したスピードシンボリ 写真:日刊スポーツ/アフロ

 そのスピードシンボリを母方の父に持つのが1984、85年連覇のシンボリルドルフだ。オーナーは同じ和田共弘、調教師はスピードシンボリの主戦騎手だった野平祐二、生産者も同じシンボリ牧場という、有馬記念を知り尽くしたチームである。しかし、シンボリルドルフは努力型の祖父と違い、2回とも1番人気で出走し、84年は2着カツラギエースに2馬身差のレコード勝ち、85年はその年の二冠馬ミホシンザンに4馬身差の圧勝という、まさに「皇帝」の名に相応しい強さを見せつけての連覇だった。

 この2頭と違い、オグリキャップの2回制覇は2年連続の勝利ではない。1989年は1番人気に支持されながら、イナリワン、スーパークリーク、サクラホクトオー、ランニングフリーに次ぐ、0.8秒差の5着に敗れている。2度目の勝利となった1990年は、前々走の天皇賞6着、前走のジャパンCが11着と連敗し、絶好調時に比べ明らかに順調とはいえない臨戦過程での出走で、ファン投票こそ1位だったが、単勝オッズは5.5倍の4番人気での勝利だった。

 グラスワンダーの1998年の初制覇は、2歳時の朝日杯3歳S(当時は数え年で年齢を表記、現・朝日杯フューチュリティS)以来の重賞(G1)レース勝利だったため、単勝売り上げも4番人気で1,450円という高配当である。また、このグラスワンダーの勝利は有馬記念史上、外国産馬による初制覇でもあった。 このレースを勝って一流馬の仲間入りを果たしたグラスワンダーは、翌年の宝塚記念、有馬記念を連覇するのである。

 シンボリルドルフ、シリウスシンボリ以来、長い間低迷を続けていた「シンボリ」軍団だったが、シンボリクリスエスの2002年秋の天皇賞と有馬記念制覇はその復活を告げるものだった。この勝利でリーディングトレーナーを手中に収めた藤沢和雄調教師は、シンボリルドルフを管理した野平祐二厩舎で調教助手を務めた人物である。そして、引退レースとなった翌年の有馬記念でシンボリクリスエスは9馬身差の圧勝で連覇を飾るのである。

 有馬記念の圧勝劇といえば、2013年のオルフェーヴルの8馬身差も記憶に新しい。最初の2011年は3歳の三冠制覇に続く連勝で、新たなヒーローの誕生を強烈に印象づけるものだった。その後、凱旋門賞を2年連続2着に惜敗し、帰国後に臨んだこの圧勝劇は、まさに異次元の強さで、引退を惜しむ声が多かった。

2011・13年の有馬記念を制したオルフェーヴル。13年は8馬身差の圧勝だった(撮影:下野雄規)

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