その後のトウカイテイオーのことを語ろう。
第6章で紹介した表をもう一度ご覧になればわかる通り、歴史的快挙となったジャパンカップののち、彼は有馬記念に2度出走している。1992年と93年の有馬記念だけに、だ。
結果から言えば、92年は11着の完敗、93年は優勝。どれだけ浮き沈みがあるのか。
「ジャパンカップでこちらが思っている以上に力を使い果たしたということで、見た目以上に疲れが残っていたんでしょうね。それがあの(92年の)有馬記念の惨敗に結びついたと思います」(松元調教師)
それにしてもだ。
父馬シンボリルドルフが、無敗で三冠を達成した後、有馬記念(2回)、春の天皇賞、ジャパンカップに優勝。海外の1戦を除けば15戦13勝、2着・3着各1回と抜群の安定感を誇ったのに対して、クラシック二冠とジャパンカップ、93年の有馬記念を制した仔馬トウカイテイオーは、敗れた3戦がいずれも5着以下。勝ち負けの落差の激しい馬だった。
2度の有馬記念の間のブランクもやはりケガだった。度重なる疲労を癒すため、冬場を南国・鹿児島で過ごしつつ、春のレースを目指していたところ、3度目の骨折が判明。そこで北海道へ戻り、調整に臨んだ。
そして
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