回復は意外と長引き、10か月を要したものの、復活後第一戦となった1992年4月の産經大阪杯は圧勝。これで「完全復活はなった」と誰もが思った。
問題はその3週間後の春の天皇賞3200メートルだった。初めての長距離ではあったが、武豊騎乗のメジロマックイーンとの一騎打ちが期待された。
しかし結果は、最後の4コーナーで先頭のメジロマックイーンを追いかけるように上がってきたトウカイテイオーはまさかの失速。5番目にゴールしたときには、1着のメジロマックイーンと10馬身近い差をつけられていた。
ならば次の舞台は、
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