明治政府にとって"晴れの舞台"ともいうべき明治17(1884)年、塩原金之助、のちの夏目漱石はどうしていたのだろう。
子供時代から勉強はよくできた。
これが江藤が書くように、「学問は、彼にとっては単に知的な充足でも社会的訓練への手引きでもなく、その存在の救済に結びついた行為であった」かどうかはわからないにしても、上野不忍池競馬が開催された前年明治16(1883)年9月に神田駿河台の英学塾成立学舎という一種の大学予備校に入学したのは事実だ。
大学予備門時代(前列左より二人目が漱石)新潮日本文学アルバム『夏目漱石』(新潮社)より転載
猛烈な勉強ぶりだったようだ。初級程度の実力から1年で相当なレベルの読本をこなすまでになっている。英語を学ぶ動機は正確にはわからないが、それまで通っていた学校には英語の授業がなかったためその後の進学に差し支えがあったのと、長兄が英語を使う職業だった影響もあったようだ。
そして、
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