吉川英治は小学校を中退し、さまざまな職業を経て、独学で作家となった。
初期の作品に『かんかん虫は唄ふ』という小説がある。これには根岸競馬場が描かれており、少年時代に憧れた神崎利木蔵をモデルにした騎手も登場する。「週刊朝日」に連載を始めたのが1930(昭和5)年だから、38歳になる年だ。数多くの作品を残した彼にとって、これは唯一の現代小説と言える、文学史的にも意味深い作品だ。今でも文庫として入手できるし、没後50年以上経ち、著作権が切れているので、ネットの「青空文庫」で読むこともできる。競馬ファンなら、ぜひ読んでおきたい作品だ。
新聞で『宮本武蔵』の連載を始めたのは1935年、43歳になる年だった。
そして、その連載が終了する1939(昭和14)年、初めて競走馬を所有する。
吉川が馬主となるきっかけをつくったのは、「文壇の大御所」菊池寛だった。最初は菊池と共有し、そのうちひとりで持つようになった。最年少ダービージョッキーの前田長吉がクリフジで制した1943年のダービーでハナを切ったトキノココロ(24着)も吉川の所有馬であった。
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