話を近代競馬発展史に戻そう。
そもそもイギリスを形作る島・ブリテン島は、ローマ帝国にとっては辺境地に過ぎなかったし、ドーバー海峡を隔ててユーラシア大陸から切り離されていたため、騎馬遊牧民の侵入を受けた経験もない。そのため、馬に関しては大陸の諸地域に比べて遅れを取っていたのだが、では、なぜ英国で近代競馬が成立し、サラブレッドという最速の馬種が誕生したのだろうか。
競馬に多少なりとも造詣の深い方なら、サラブレッドには3頭の「始祖」がいることをよくご存じだろう。
バイアリータークとダーレーアラビアン、そしてゴドルフアラビアン。
いずれも軽快で素早く、スマートなアラブ馬だった。これらの馬がイギリス在来の牝馬や、ヨーロッパ産のアラブ牝馬と配合され、やがて競走能力に優れた馬の生産が目立ってくるようになる。そして1764年、ダーレーアラビアンの系統から生まれたのが伝説の名馬・エクリプスである。
初出走で大楽勝、2回目のレースではすでに大本命で、ある人物は「エクリプス1着、ほかの馬はどこにもいない」と、予言したという。結果もその言葉通りで、生涯18戦全勝。今のサラブレッドのほとんどはエクリプスの血が入っているはずで、90%くらいは同じ系統だと考えられる。例えば、本講義1限目の第2章で紹介したダンシングブレーヴの場合、父系を19代遡るとエクリプスに行き当たる。
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