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日本近代競馬の黎明期

日本近代競馬の黎明期

第2章

日本近代競馬の黎明期

黒船襲来を止めた駿馬、その名は“帝王”

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 日本の近代競馬の進歩を語るうえで、大レースの存在は欠かせない。

 ダービーとは、そもそも1780年にイギリスで創設された3歳馬によるレースで、今や世界各国でダービーと名の付く、あるいはそれに準ずるレースが開催されている。

 日本で第1回ダービーが開催されたのは1932年。その後もイギリスで古くから施行されてきた“クラシックレース”の伝統にならい、3歳馬の大レースとして、1946年に優駿牝馬競走(オークス)、1947年に桜花賞、1948年に菊花賞、そして1949年に皐月賞が誕生した。

 これで日本での五大クラシックレースが出揃う。

 そうした流れの中で、海外から有力馬を招待して開催すべく1981年にジャパンカップが創設される。これは日本近代競馬の、いわば海外開放初期のころのひとつの“頂点”と呼ぶべき出来事だったといえる。

 日本の競馬が果たして海外有力馬にどれほど通用するのか、その試金石となるジャパンカップではあったが、その年代記は多難であると同時に、浮き沈みの激しいものだった。

 もっとも創設から現在に至る歴史を概観すると、誕生から11年が経った1992年のレースがひとつの契機となり、新たな船出が始まったとする識者の声がある。そのレースの主人公が本書で紹介する“トウカイテイオー”である。

 外国馬が第1回から3連勝し、1984年の第4回、1985年の第5回で日本馬がついに勝利したものの、その後は6年連続で日本馬は勝てなかった。その流れを1992年、トウカイテイオーが大きく変える。
(写真:下野雄規)

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