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記録が語る有馬記念 最速&圧勝編

記録が語る有馬記念 最速&圧勝編

第8章

記録が語る有馬記念 最速&圧勝編

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■最高勝利タイム

1:ゼンノロブロイ 2分29秒5(2004年)
2:ドリームジャーニー 2分30秒0(2009年)
3:シンボリクリスエス 2分30秒5(2003年)
4:ダイユウサク 2分30秒6(1991年)
5:トウカイテイオー 2分30秒9(1993年)

 勝ちタイムの変遷は、わが国の競走馬全体の血統的なレベルの驚異的な向上が根本にあり、また調教技術(ソフト面)、調教施設(ハード面)、そして馬場の改善など、様々な違いがあるため、昔とは比較にはならない。

 上位5レースでは、ゼンノロブロイの初の2分30秒台を切った2004年は、絶妙のペースで逃げたタップダンスシチーも29秒台で走っているが、それを二番手で追いかけて差し切ったレースぶりは、まさに王者の貫禄だった。天皇賞・秋、ジャパンC、さらに有馬記念と秋の古馬戦線の王道を制覇したのは、テイエムオペラオー以来の快挙だった。

 2009年のドリームジャーニーは同年の宝塚記念に続くG1レース勝ちだったが、この勝利は種牡馬ステイゴールド産駒初の有馬記念制覇で、オルフェーヴル、ゴールドシップへと続くその活躍を予感させるものだった。また、このレースでのドリームジャーニーの馬体重426kgは最少馬体重馬による有馬記念勝利の記録でもある。

 1991年のダイユウサクの有馬記念レコードは、その後12年間破られなかった。この年は希代の逃げ馬ツインターボに、ダイタクヘリオス、プレクラスニーと先行馬が多く、有馬記念では滅多に見られないハイペースのレースとなり、早めに抜け出した圧倒的1番人気のメジロマックイーンを内から差し切った、その勝ちっぷりは実に鮮やかなものだった。

 1993年のトウカイテイオーのレースをベストレースに選ぶファンも多いことだろう。前年の有馬記念11着という惨敗から、骨折休養をはさんで、実に364日ぶりの実戦で記録した2分30秒台での勝利は、まさに常識はずれの「帝王」の復活劇であった。

今なお残るレコードを残した2004年のゼンノロブロイ(撮影:下野雄規)

■最大着差

1:シンボリクリスエス 9馬身(2003年)
2:オルフェーヴル 8馬身(2013年)
3:カブトシロー 6馬身(1967年)
4:タニノチカラ 5馬身(1974年)
5:オンワードゼア 4馬身(1958年)、ガーネット(1959年)、シンボリルドルフ(1985年)

「希代のクセ馬」カブトシローの勝利を知るオールドファンは少ないだろう。1967年は春の天皇賞馬スピードシンボリが1番人気、秋の天皇賞3着のリュウファーロスが2番人気で、その秋の天皇賞(8番人気)を勝って、前年の有馬記念も2着となっているカブトシローは単勝11.2倍の4番人気だった。しかし、ファンの軽視をあざ笑うかのように、6馬身差の圧勝劇を演じてみせた。人気になっては惨敗し、誰もが忘れたことにやってくるレースぶりを、作家の山口瞳は「やはりこの馬は強いのである。圧倒的に強い。それはつまり、オバケである」と言い、詩人の寺山修司は「カブトシローは、人気を裏切ったということだけいえば、当代随一、その『意外性』においても、劇的なレースづくりにおいても全く他馬の追随を許さなかった」と記している。

 1974年のタニノチカラの5馬身差は2着ハイセイコーをぶっちぎった勝利で、そのライバルタケホープはさらにクビ差遅れた3着だった。この年は長距離の逃げ馬トーヨーアサヒという馬がいたが、馬なりで先頭に立ったタニノチカラからハナも奪えず、追いすがるハイセイコー、タケホープ、前年の覇者ストロングエイト以下に影も踏ませぬ、まさにタニノチカラの独り舞台だった。

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