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10頭のニジンスキーたち

10頭のニジンスキーたち

第1章

10頭のニジンスキーたち

競馬とバレエ 〜ふたつのニジンスキー伝説〜

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 サラブレッドの名前にはバレエダンサーの名前が多い。

 ご存知ですか、ヌレエフ、イサドラ、ダンカン、カルサビナ、パブロワ、バリシニコフ…。

 どれも19世紀から現代にかけての名バレエダンサーであり、同時に彼、彼女らの名前はそのままサラブレッドの名前となっている。

 ダンサーだけではない。本書のテーマと関連する20世紀初頭に誕生したバレエ団“バレエ・リュス”の創設者「ディアギレフ」やサンクト・ペテルブルクにあるキーロフ歌劇場(現マリインスキー劇場)の名前そのままの「キーロフ」「マリインスキー」、果ては「スワン・レイク」(白鳥の湖)など、バレエ関連の名前を持つサラブレッドは枚挙に暇がない。

 以上は、日本馬の例だが、試しに日本馬を含めた世界のサラブレッド約270万頭のデータベースであるネットサイト
 http://www.pedigreequery.com/
で検索してみる。

 すると意外な事実が判明する。たとえば本書の主人公「ニジンスキー」。

 この名前を聞けば、競馬のオールドファンなら

ニジンスキー(1967〜1992):カナダで生まれ、アイルランドで調教された競走馬。史上15頭目のイギリスクラシック三冠馬。種牡馬としても1986年にイギリス・アイルランドのリーディングサイアーとなった。1976年にデビューし、中央競馬8戦8勝の名馬マルゼンスキーの父馬…

 といったデータがたちどころに頭に浮かぶだろうし、その父馬たる、

ノーザンダンサー(1961〜1990):カナダの歴史的名馬。カナダ・アメリカで走り1964年アメリカクラシック二冠を制し、いまだに(2018年3月1日現在)、人間以外でカナダ・スポーツ殿堂入りを果たした唯一の存在。種牡馬としては北米の枠を超えて世界レベルで成功、ノーザンダンサー系をひとまとめで見た場合、欧州圏や豪州圏では全生産頭数の過半数から8割を占めるとされ、20世紀中最も成功した馬である…

 辺りの情報も瞬時にアップロードされるだろう。

ノーザンダンサー

引退後の名馬ノーザンダンサー。(写真:今井寿恵)

 今でこそノーザンダンサーの種牡馬としての評価は上述の通り、圧倒的なものがある。だが、競馬評論家の白井透などによると、種牡馬としてのノーザンダンサーは当初それほど期待されていなかったようだ。むしろ2年目産駒のニジンスキーがイギリス三冠馬になったことでチャンピオンサイアーとなり、翌1971年にもアメリカでチャンピオンサイアーになったことで、ノーザンダンサー神話がささやかれだしたようだ(それ以後は1977年、83年、84年にもチャンピオンサイアーになっている)。その意味では産駒ニジンスキーあってこその父馬ノーザンダンサーと言えるのかもしれない。

 実際の話、サラブレッドに付けたい名前の人気面でもニジンスキーは父馬をはるかに凌駕している。上記のサラブレッドデータベースで「Northern dancer」「Nijinsky」と検索すると、前者のヒットは1頭だけだが、後者はカナダはもとよりアメリカ、アルゼンチンなどで総勢10頭(!)もいた事実がわかる。しかもこのうち、ノーザンダンサー産駒のニジンスキーは生年で言えば9頭目、“ニジンスキー9号”に過ぎない。なにしろ1919年のブラジルですでに「ニジンスキー」という名前のサラブレッドが登場しているのだ。約100年前の1919年である。下がその一覧。

NIJINSKYリスト

<NIJINSKYという名を持つ馬一覧>

 そんな昔から“ニジンスキー”の名前は有名だったのだ。その名前は、本書のもう一方の主人公であり、実在のこのバレエダンサーに由来する。

ニジンスキー(1889〜1950)(生年に関しては諸説あり):ロシアのバレエダンサー・振付師。驚異的な脚力による『まるで空中で静止したような』跳躍、中性的な身のこなしなどにより伝説となった。

 ネット上のノーザンダンサー産駒ニジンスキー欄でもこんな一文が見つけられるはずだー「名前の由来はロシアの伝説的なバレエダンサーであるヴァスラフ・ニジンスキーから」。

 正確に確認はできないが、他のサラブレッド・ニジンスキーもこのバレエダンサーにあやかったのは間違いないだろう。それほどまでにこのダンサーが世界の競馬関係者のみならず、あまねく世論に与えたインパクトは凄まじかった。

 では「ニジンスキー」とはどれほどのダンサーだったのだろうか。

 舞台はブラジルでニジンスキー1号が生まれる少し前から始まる。

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