競走馬の強さを、その時代の突出度で評価するなら、日本の競馬史上、最強だったのはこの馬かもしれない。
トキノミノル。10戦10勝でダービー馬となり、のちに「幻の馬」と呼ばれるようになった駿馬である。
トキノミノルは旧3歳になった1950(昭和25)年、パーフェクトという馬名でデビューする。オーナーは、映画会社大映社長の永田雅一。永田は、尊敬する菊池寛がその2年前に急死してから、遺志を継ぐ意味で、菊池が所有馬につけた「トキノ」の冠を使うことが多くなっていた。にもかかわらず、この馬に冠をつけなかったのは、さほど期待していなかったからだろう。
ところが、同馬は新馬戦をレコードで圧勝してしまう。レース後、永田は「成績が実るように」と願いをこめ、トキノミノルと改名した。
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