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ボクがトレーナーへの転身を目指したワケ

ボクがトレーナーへの転身を目指したワケ

第2章

ボクがトレーナーへの転身を目指したワケ

ジョッキーダイエット

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 その前に、少しだけ私の騎手時代について振り返ります。祖父が調教師、父が厩務員という競馬一家で育った私は、2000年に美浦、稲葉隆一厩舎所属でデビューしました。騎手になるということは私のなかでは目標、というよりは憧れであり夢。

 中京競馬場で私の夢は叶いました。デビュー戦は最下位でしたが、1コーナーで前の馬が僕の前に切り込んでいく画、3コーナーで手ごたえがなくなり、遠ざかる馬群(笑)。今でも鮮明に思い出すことができます。

 そんなデビュー戦から周囲の関係者にも恵まれ、G1にも騎乗した経験もありましたが、結果が出ないレースが増えていきます。ここで本来なら、より一層の努力をすべきですが、どこか斜に構えがちな私はそれを放棄し、現実と向き合うことをしませんでした。

 今まで、騎乗依頼をくれた調教師の先生の「機会があったら頼むな」という同じセリフが、以前は語尾が上がって力があったのに、下がって素気のないものに変わる。新聞記者や取材の方にも何の注目も受けず素通りになりますし、トレセンで会う人への一声も「この前はありがとうございました」から「すみませんでした」というものに変わります。

 そこで怒られるくらいならまだ楽で、「まぁ、また」という感じ。向こうも次回は他の騎手に変わるものを怒ることもしませんから。マザーテレサが「好きの反対は嫌いではなく、無関心」とはよくいったもので、皆が私から関心を失いかけた状況から私は立ち向かうことをせず、ただやり過ごし目を背けたんです。

 当時を振り返って、それでも「ここが踏ん張りどきだ!」という状況で手を差し伸べてくれた関係者は決して少なくなかったように思います。しかし、その時の私もじつに不甲斐なく、結果が残せない。それを無駄なプライドや理屈を盾に自分を守ってしまいました。

 ですから、ずっとトップを走り続けるジョッキーももちろん尊敬しますが、年間未勝利や1年を超えるケガなど不遇を乗り越えて復活しているジョッキーたち、あの周囲が無関心の状況からの奮起は本当に尊敬します。

 さて、そんななかで私が競馬業界以外の仕事を選ぶキッカケになったのは堀江貴文さんの書籍でした。堀江さんの出版物の特徴は忖度皆無で、思ったことをその通りに論ずるスタイル。明快でわかりやすく、常識にとらわれない主張は私に大きな影響を与えました。

 少し話がそれますが、レースのないジョッキーの平日は、意外にも時間に余裕のある生活をしています。携帯電話が当たり前になり、エージェント制度が確立されてからは、実質労働時間が調教だけの4時間程度だったりする騎手も少なくありません。仕事に身が入っていなかった私は、そのようないい御身分の1日でした。

 その時間を使って、本来、レース分析や木馬に乗ることに時間を費やすでなく、ビジネス書や経済小説を読み漁っていました。接骨院で電気治療を受けているときに本を読んでいたところ、そういったジャンルの読書が珍しかったのか、「美浦村議会でも立候補するの?」と言われたこともありましたっけ(笑)。

 ちなみに、美浦トレセンの周囲のコンビニで置いている新聞はスポーツ紙が9割で、日経新聞は置いている店は皆無です。そんななかで、私に芽生えたのが、「自分もビジネスで勝負してみたい」という想いでした。

 ただし、勝負するためといえ武器がなければ戦うことはできません。ジョッキーという特殊な仕事もそれだけでは不十分と感じていたところでパッと浮かんできたのが、ファンや一般の方々にいわれていた「引き締まった身体のつくり方」。現役の頃にパーソナルトレーナーをつけてトレーニングもしていたので、運動や栄養の知識は持ち合わせてはいました。

 正直、トレーニング業界もやっている人、いない人の垣根が深く、もっとシンプルで簡単で通いやすければ興味をもってもらえるのでは?そう感じていたこともありました。業界を離れる決断をするのは本当に時間を要しましたが、その時間があったからこそジョッキーがしている体重管理方法を明確にできたこともありました。

 次章からメソッドの具体的な説明に入っていきますが、私が推奨することはとくに真新しいことでもスペシャルなことでもありません。理由は、世にさまざまなダイエット法がありますが、ある意味すべて正解だから。肝心なことは“どれが正解で、どれが間違い”ではなく、“どうしたら目標達成まで続けられるか”ということなのです。

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