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遥かなる黄金旅程

遥かなる黄金旅程

第9章

遥かなる黄金旅程

その“もどかしさ”が好きだった 〜ステイゴールド物語〜

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 引退まであと3戦。国内は残り2戦。ファンの期待は高まったが、秋の天皇賞は7着、日本での最終戦のジャパンCは4着と振るわなかった。

 ただ、鞍上の武豊騎手の評価は少し違っていた。

「これなら香港で勝てますよ」

 ジャパンC後、陣営には自信たっぷりにそう伝えていた。まるで、2000年の目黒記念の直前での発言のようだった。

 この自信にはもちろん、根拠があった。ジャパンCでの手応えはもちろん、それまでの陣営の努力を知っていたからである。

 ステイゴールドは左側にラチがあると落ち着くという癖があった。気性の荒い性格で、逆に、右にラチがあると嫌がって暴れる(ラチから逃げていく)ことが多かった。そのため、運動も調教も左側にラチがある状態で行うようにしていた。馬と人間の安全が優先されたからである。

 だが、ここにきて陣営は思い切った手に出る。あえて、右にラチがある状態で調教を行うようにしたのである。右にラチがあってもまっすぐに走れるように、右ラチに慣れること。そして、それまでは馬の意思ばかりを尊重していたのを、馬に人間の意思を尊重することを教えたという意味もあった。

 さらに、左側だけを覆うブリンカーを使用して左にヨレないようにしたり、それまであえて制御力の強いハミを使っていたのを、逆に馬が反発しないように普通のハミに戻したりするなど、陣営はとにかくやれることを最大限にやり、その効果がジャパンCで見えたことで、武騎手も香港で自信を持って乗れると感じたのである。

 2001年12月16日、香港シャティン競馬場、香港ヴァーズ(G1、芝2400m)。通算50戦目のラストランは、日本のファンの後押しで単勝2.0倍という圧倒的な1番人気となった。

 ステイゴールドはゼッケン9番ながら、大外14番枠からのスタート。ゼッケン番号9の下には日の丸。そして「黄金旅程」の文字が刻まれている。なるほど、「stay」を「旅先での滞在」の意味に訳したわけだ。

 ゲートが開く。武豊騎手は大外からのスタートで無理はせず、後方4番手あたりにつけ、ジワジワと内側に入っていく。レースは淡々と進むが、前からの競馬をしていたUAEのエクラーが早めに突き放しにかかる。

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