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サンデー系の「血の飽和」を緩衝する役割

サンデー系の「血の飽和」を緩衝する役割

第1章

サンデー系の「血の飽和」を緩衝する役割

ジェンティルドンナ “貴婦人”という名の女丈夫

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 貴婦人。

 あまり使われない言葉だが、意味はなんとなくわかる。「高貴な婦人」ということだろう。あえて辞書を引いてみると「身分の高い女性。上流の婦人」(大辞林)とある。身分制度のない現代の日本では、「淑女」=「気品ある、しとやかな女性。品格・徳行のそなわった婦人。レディー」(同)と近い意味になるだろうか。あるいは、「紳士」=「gentleman」の女性バージョンといった解釈になるのだろう。

 いずれにしても「おしとやかで、上品」というイメージとセットになる言葉だ。「物静か」「落ち着きがある」「おだやかな」といったイメージもともなうかもしれない。「凛」とした気高さを感じさせ、「戦い」とか「争い」、「勝負事」などとは対極にある言葉だといえる。

 そもそも「戦い」や「争い」といった概念と、「女性」や「婦人」といった概念とは、一般的に、相容れにくいものといっていいだろう。もちろん例外はあるが、「戦闘」と「女性」との親和性が高いか低いかと問われれば、高いとは答えにくい。

 ところが、古代ギリシャの神話(伝説)には、「アマゾン」と呼ばれる女性だけの戦闘集団(部族)がいたという話がある。「アマゾン」はブラジルの「アマゾン川」のイメージが強いこともあり、日本では複数形の「アマゾネス」で呼ばれることがほとんどだ。

 黒海周辺にいた部族とのことで、男性社会だったギリシャにとってはかなりの脅威だったらしい。戦闘集団なので、当然みな、肉体は筋骨隆々に鍛え上げられている。神話なので真偽のほどは定かではないが、弓矢を射るのに邪魔だという理由で右の乳房を切り落とし、男と見れば殺すか奴隷にするかのどちらかだったという。

 いったい何をいっているのかと思われるかもしれないが、競馬の世界に「貴婦人」という名の「アマゾネス」がいたという話である。

 さて、話は変わるが…。

 順調なとき、余力のあるときにこそ、将来に向けたさらなる発展への投資をしなければならない。資本主義社会でビジネスを続ける以上、これは鉄則と言える。事業の継続性、いわゆる「サスティナビリティ」が叫ばれて久しい。どんなにうまくいっている事業でも、先行投資を怠れば、その地位はやがて他社や他業種に取って代わられる。事業の継続とは、過去の繰り返しではなく、未来への働きかけによってなしうるものだ。

 競馬の世界、とくに馬の生産についてはなおさらそういえる。ある馬の血脈が隆盛を極め、栄華を謳歌すればするほど、その系統は爆発的に増えていく。ブラッドスポーツである競馬において、近親交配はご法度だ。隆盛を極める血脈が栄えれば栄えるほど、まったく違う血統の馬が必要となる。

 日本では「サンデーサイレンス系」といってもいいくらいに、サンデーサイレンスの血を引く馬たちが繁栄している。競走成績はもちろん、その能力の遺伝力にも長けているようで、生まれてくる仔馬たちが次々と好成績をあげている。日本の生産界はあっという間に「サンデーサイレンス系」で溢れかえった。

 この状況に対応するための最善かつ最速の方法は、サンデーサイレンスの血を持たない繁殖牝馬を買ってくるというものだろう。もちろん、好成績あるいは繁殖牝馬として期待できる血統の馬である必要がある。サンデーサイレンスの血を引かず、かつその条件を満たす馬を探すとなれば、どうしても海外に目を向けざるをえない。

 ノーザンファーム副代表で、サンデーレーシング代表でもある吉田俊介氏も、当然、そう考えたはずだ。押しも押されもせぬ大牧場でも、いや大牧場だからこそ、サスティナビリティのための先行投資の重要性を十分に理解していた。ノーザンファームに隣接する社台スタリオンステーションに繋養されていたサンデーサイレンス。その仔や孫たちの活躍に心躍らせながらも、同時に「血の飽和」への警戒心も大きくなっていったに違いない。

 吉田俊介氏は2006年、イギリスへと飛び、タタソールズ・ディセンバーセールで「ドナブリーニ」という繁殖牝馬を落札する。2歳時の2005年にイギリスのG1チェヴァリーパークステークスを勝った馬だ。落札価格は50万ギニー(イギリスの競馬のセリ市では「ポンド」ではなく、昔の通貨単位「ギニー」が使われる)。当時の為替レートで約1億2000万円。生産界の雄ノーザンファームといえども、けっして安い投資とはいえない。

 のちに吉田俊介氏も「高かったが、頑張って買った甲斐があった」と語ったように、かなり思い切った投資だったようだ。だが、一般企業も馬の生産者も、現状維持はすなわち後退を意味する。そのことが十分にわかっているからこその投資だった。

 そして、この50万ギニーのドナブリーニは、初年度にディープインパクトの仔を宿し、翌年、鹿毛の牝馬を産んだ。これがのちに重賞2勝、ヴィクトリアマイル2着、マイルチャンピオンシップ3着と活躍するドナウブルーだ。

 ドナブリーニは、2年連続でディープインパクトの仔を宿し、2年目に生まれたのも姉と同じく鹿毛の牝馬だった。この2年目の牝馬が、やがて競馬の歴史を塗り替え、多くの人を魅了することになるのである。

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