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名牝シラオキの血を紡いできた生まれ故郷を襲った悲劇

名牝シラオキの血を紡いできた生まれ故郷を襲った悲劇

第2章

名牝シラオキの血を紡いできた生まれ故郷を襲った悲劇

スペシャルウィーク (下)

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 日高大洋牧場の小野田宏代表は、目の前に広がる炎を見ても、ただ立ちすくむだけだった。あり得ない光景、受け入れがたい現実を目の当たりにして、思考が完全にフリーズしたという表現が近いかもしれない。人間の脳には、あまりにも悲惨な、受け入れがたい事実の情報を遮断し、認識すること自体を拒否する機能があるらしい。

 1998年12月15日未明、牧場の繁殖厩舎から出火したとみられる火災が発生。火はアッという間に燃え広がり、スタッフが駆けつけたときには厩全体がすでに炎に包まれていた。消防車が来るまでのあいだ、スタッフ総出で消火活動を行ったが、文字通り、焼け石に水だった。

「水だ。水を持ってこい。急げ」

 スタッフの大声に、思考停止状態だった小野田代表もふと我に返った。

―――あり得ない。そんなことがあろうはずがない。厩舎が燃えるなんて。馬は…馬はどこにいるんだ。

 馬はどこにもいなかった。

 生産牧場にとって繁殖牝馬は大事な財産である。繁殖牝馬がいなかったら、馬の生産はできない。この目の前の繁殖厩舎では、20頭の繁殖牝馬が暮らしていた。そして、その繁殖厩舎は今、全体が炎に包まれている。そこで思考は停止した。次に導かれる論理的結論を、脳が拒否した。

 繁殖牝馬の多くは、先代から引き継がれたものだった。小野田代表の父で前代表の小野田正治氏は、名牝シラオキの血統にこだわりがあった。

 シラオキ自身は48戦9勝、牝馬ながらダービー2着という実績がある。ただ、名牝と呼ばれるようになるのは引退後、繁殖牝馬として産駒が好成績を残すようになってからである。2冠馬コダマ、皐月賞馬シンツバメなどを輩出し、さらには産駒の牝馬たちが多くの活躍馬を産んだことで、母の母としても優秀な成績を収めた。

 1970年当時、生産牧場にとってシラオキの血統は喉から手が出るほどほしい牝系だった。どうしてもシラオキの牝系がほしかった先代は、シラオキの牝系としてはやや傍流といえるウインナーの仔タイヨウシラオキを購入した。ウインナーはシラオキの直仔だが、自身は未勝利。ウインナーの全姉でシラオキ系の本流ともいえるワカシラオキ(ウオッカの5代母)やヒンドスタン産駒のミスアシヤガワなどと比べるとやや格下という評価だった。

 ところが、そのタイヨウシラオキがコーリンオーを産み、日高大洋牧場に重賞初勝利(スワンS)をもたらしたのだった。傍流がこんなにすごい馬を産んだのだから、本流に近いワカシラオキやミスアシヤガワなら、どんなにすごい馬を産んでくれるだろう。先代はシラオキの血統への思い入れをさらに強くしていった。

 当時、ワカシラオキとミスアシヤガワは浦河町の鎌田牧場に繋養されていた。鎌田牧場はシラオキの繋養先でもあった。小野田正治先代代表は、鎌田牧場と懇意の仲だったこともあり、「どちらかの馬をなんとか売ってほしい」と頼み込んだが、いくら懇意の仲とはいえ、鎌田牧場にとっても大事な繁殖牝馬を、そう簡単に売ってくれるはずがない。とくにワカシラオキに関しては、けんもほろろといった様子だった。

 それでも諦めきれない先代は、一世一代の賭けに出た。

「では、セントクレスピンをミスアシヤガワに無料で種付けさせましょう。牡馬が生まれたら、そのまま鎌田さんの所有に、もし牝馬が生まれたら私に売ってください」

 小野田先代代表は、破格の値段で、鳴り物入りで輸入されてきた種牡馬セントクレスピンの種付け株を持っており、優先的に種付けをすることができた。その権利を鎌田牧場に無料で譲り、牡馬ならそのまま鎌田牧場のものに、牝馬ならさらに料金を払って自分が買い取るという条件を提案したのである。

 これなら鎌田牧場にとっても、損なことはひとつもない。セントクレスピンの牡馬が無料で手に入るか、種付け料無料で生まれたセントクレスピンの牝馬がその場で売れるかのどちらかだからだ。この条件を鎌田牧場も了承した。

 この賭けは小野田先代代表の勝利といえた。ミスアシヤガワは牝馬を産み、レディーシラオキと名付けられ、日高大洋牧場で繁殖牝馬となった。レディーシラオキはマルゼンスキーとの仔キャンペンガールを産み、キャンペンガールはサンデーサイレンスとの仔、スペシャルウィークを産むことになるのである。

 キャンペンガールはスペシャルウィークを産む2年前に、オースミキャンディという牝馬を産んでいる。現役を引退し、レディーシラオキの血統を継ぐ繁殖牝馬となるべく、生まれ故郷の日高大洋牧場に戻っていた。その大事なシラオキの牝系の後継者となるはずだったオースミキャンディも、この繁殖厩舎にいたはずだった。

 しかし、この火では助かった馬がいるとはとても思えなかった。

「おーい、あそこに馬がいるぞ」

 ようやく火の勢いが弱まってきた頃、スタッフが馬を見つけて叫んだ。繁殖厩舎に繋がれていたメジロウェイデンという繁殖牝馬だった。火が厩舎全体に燃え広がる前に、何かの拍子で逃げ出すことができたのだろう。

「他にもいるかもしれないぞ」

 それはむなしい期待だった。この繁殖厩舎にいた20頭の繁殖牝馬のうち、助かったのはただ1頭。残りの19頭は火事の犠牲になってしまった。オースミキャンディも助からなかった。

 不幸中の幸いだったのは、別の厩舎にいた馬たちは無事だったことだ。そのなかには、レディーシラオキの仔ファーストラブがいた。ファーストラブはその後、サンデーサイレンスの仔サイレントラブという牝馬を産み、日高大洋牧場で繁殖牝馬として活躍している。

 だが、このときの小野田代表には今後のことを考える余裕などなかった。前を向いて歩き出すには、もう少し時間が必要だった。

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