目次

種牡馬ブライアンズタイムの輝き

種牡馬ブライアンズタイムの輝き

第4章

種牡馬ブライアンズタイムの輝き

たった一度っきりの“マッチレース”

目次

 ナリタブライアンとマヤノトップガンは、父に同じブライアンズタイムを持つ。そして父が同じその2頭が、1994年と1995年の年度代表馬に続けて選ばれた。でも、それは決して偶然ではない。ブライアンズタイムはまさにこの時期、本物の輝きを放っていたのだ。

 アメリカで2つのGIを勝ったブライアンズタイムは、現役を引退してすぐに種牡馬として日本へやって来た。初供用は1990年春。ターフではオグリキャップが現役最終年を迎えていた。

 ブライアンズタイムだけでなく、ちょうどこの頃、バブル経済の余波を背景に、日本では良血の競走馬や種牡馬、繁殖牝馬の輸入が急増していた。

 リンドシェーバーが朝日杯3歳Sを勝ったのが1990年暮れ。シンコウラブリイやヒシマサルは1992年の3歳重賞を勝ちまくり、ヒシアマゾンは1994年に破竹の重賞6連勝を記録した。1996年にはNHKマイルCが創設され、優勝馬タイキフォーチュンから8着までを外国産馬が占めている。

 種牡馬の世界では、さらにドラスティックな地殻変動が起きていた。

この続きはスーパープレミアムコースに
登録すると、読むことができます。

すでに登録済みの方はここからログイン

  • netkeiba Books+は、定額読み放題のサービスです。
  • 簡単な手続きで、netkeiba.comにあるすべてのコンテンツがご利用いただけます。

人気のブック

© Net Dreamers Co., Ltd.