目次

マヤノトップガンの台頭

マヤノトップガンの台頭

第3章

マヤノトップガンの台頭

たった一度っきりの“マッチレース”

目次

 マヤノトップガンは1992年、北海道の川上悦夫牧場で生まれた。父はこれが2世代目の産駒となるブライアンズタイム。母はアメリカ産で不出走、セリ市で購入されて日本へやって来たブラッシンググルーム牝馬のアルプミープリーズ。栗東の坂口正大厩舎に預けられたマヤノトップガンは、入厩は2歳春と早かったが、デビューは年明けの3歳1月まで待たなければならなかった。

 デビューが遅くなったのは、とにかく体質が弱かったからだった。当初は馬体も細かったマヤノトップガンは、入厩して1カ月ほどで骨瘤が出たため、すぐに育成牧場へ逆戻り。その後も脚元の不安はなかなか解消せず、思い切った調教もできないまま、アッという間に年を越してしまう。ようやくこぎつけたデビューの舞台にダート1200mが選ばれたのも、血統やフォームからの適性ではなく、ただただ脚元への負担を考えてのことだった。

この続きはスーパープレミアムコースに
登録すると、読むことができます。

すでに登録済みの方はここからログイン

  • netkeiba Books+は、定額読み放題のサービスです。
  • 簡単な手続きで、netkeiba.comにあるすべてのコンテンツがご利用いただけます。

人気のブック

© Net Dreamers Co., Ltd.