2001年、春。陣営は、的場に変わる新たな鞍上として、四位洋文に白羽の矢を立てた。
新コンビで京王杯SC(G2 東京芝1400m)、安田記念(G1 東京芝1600m)に出走したが、9着、11着と惨敗してしまう。
夏の休養後、陣営は秋の復帰戦に日本テレビ盃(交流G3 船橋ダート1800m)を選んだ。もともと安定した成績を残していたダートから始動することで、復調することを期待したからだ。結果的にこれがうまくいき、ここからアグネスデジタルの快進撃が始まった。
日本テレビ盃を先行策から圧勝し、つづくマイルチャンピオンシップ南部杯(交流G1 盛岡ダート1600m)も盤石の内容で勝った。この勝利により、アグネスデジタルは芝とダート両方のマイルG1制覇を達成した。これは、1984年のグレード制導入以後、初の快挙である。
南部杯後のローテーションについて、陣営は当初、マイルCSの連覇を目標としていた。だが、アグネスデジタルの収得賞金額が、天皇賞・秋の出走要件を満たしていることから、天皇賞・秋への出走に切り替えた。
当時の規定で、外国産馬の天皇賞への出走枠は2頭に制限されていた。アグネスデジタルが出走することで、早くから出走を表明していた3歳のクロフネ(NHKマイルカップ、毎日杯など)が除外されることになってしまった。このことで、クロフネの出走を楽しみにしていた多くのファンから批判の声が上がり、競馬関係者からも疑問の声が上がっていた。
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