日本ダービーは5着と一頓挫したゴールドシップだったが、陣営は「距離は、延びれば延びるほどいい」(須貝師)という認識で一致し、秋は当然、菊花賞(G1)を狙うプランが立てられた。そのステップレースに選ばれたのは、神戸新聞杯(G2)だった。
前章で須貝師の「乗りやすい馬」というコメントを紹介したが、これは陣営がゴールドシップの「やんちゃ」ぶりに気付いていなかったことを意味するわけではなかったようだ。この神戸新聞杯の直前、今浪隆利厩務員はこう述べている。
「以前ほどやんちゃしなくなった。今でもやる時(暴れる時)はあるけど、春ほどムチャクチャなことはしない」
当時のスポーツ新聞には「ステイゴールドの仔らしく、とにかく暴れん坊だった。2歳時の函館では他馬を蹴りにいくことで有名で、ダービー前でもすぐに立ち上がったり、なかなか馬場に入らなかったり…。『なめてますよ』と北村(浩平)助手は苦笑していた」とある。2歳時からゴールドシップのやんちゃぶりは有名だったということだ。
しかしこれは、須貝師の「乗りやすい馬」とのコメントと明らかに矛盾する。どういうことだろうか。考えられるのは、「厩舎やトレセンの馬場では暴れることも多いが、競馬に行ったらしっかり走ってくれる」ということ。もうひとつは、「ゴールドシップが人を見て態度を変えていた」ということ。これはつまり、須貝師の前では「いい子」を演じ、いなくなると「やんちゃ」ぶり全開になるということだ。
昭和のヤンキー文化が隆盛だった頃の中学校には、普段はやんちゃなのに、超体育会系の強面先生の前、あるいは学園のマドンナ的な超美形の先生の前に出ると、いい子とまではいわないが、普段のやんちゃぶりがすっかり影を潜めてしまう、世渡りのうまい「不良」がけっこういたものだ。
これはもう想像、いや妄想の域を脱しないわけだが、ゴールドシップはどうもそんなタイプだったのではないかと疑ってしまう。いや、こんな妄想を掻き立ててくれること自体、もう多くのファンが魅了されたゴールドシップの魅力に、筆者もすっかりハマってしまっているのかもしれない。
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