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雌伏からの飛躍、そして海外初勝利

雌伏からの飛躍、そして海外初勝利

第7章

雌伏からの飛躍、そして海外初勝利

その“もどかしさ”が好きだった 〜ステイゴールド物語〜

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 G1レース3連続2着という珍しい記録を打ち立て、「シルバーコレクター」と揶揄されはじめたステイゴールドだったが、このあとしばらくは、2着にすら入らないレースが続くことになる。

 暮れの有馬記念、年明け2戦目の日経賞、金鯱賞、鳴尾記念、宝塚記念と3着が増え、「今度はブロンズコレクターになった」などといわれはじめた矢先、秋の天皇賞で2着となって「シルバーコレクター」としての面目躍如。さらに、暮れ2戦の凡走後、翌年のアメリカJCC 2着、京都記念3着、日経賞2着と、シルバーとブロンズを次々と集めていく。

 そして、春の天皇賞は4着。シルバーもブロンズも取れなかった。

 ここで、池江泰郎調教師は思い切った策に出る。これまで、騎乗停止などイレギュラーな状況を除き、調教も含めて乗り続けてきた熊沢重文騎手を降板させ、武豊騎手に乗り替わりを依頼することにしたのである。

 宝塚記念に向かう前に走るステップレースは、2000年5月20日の目黒記念(G2、芝2500m)。土曜日の東京競馬場は、朝から雨が降り続き、馬場状態は重馬場。2年前の同じ目黒記念と同様の天気、同じような重馬場だった。2年前は3着。それでも、ファンはステイゴールドを単勝2.8倍の1番人気に推していた。そして、武豊騎手は、ずぶ濡れの馬場を気にする担当厩務員に「勝ちますよ」といい切って、ゲートに向かった。

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