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キャスター 草野仁――心に残る私の有馬記念

キャスター 草野仁――心に残る私の有馬記念

第4章

キャスター 草野仁――心に残る私の有馬記念

【無料】有馬記念特別号 〜無数のドラマ〜

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天才ジョッキーの勝負勘をも狂わせた1999年の有馬記念――草野仁さん

数多くの”歴史”を実況してきたキャスターの草野仁さん

 実況放送を通して数多くのレースを目の当たりにしてきた者にとっては何頭かの馬達が雪崩を打つようにゴールした時にも、ある程度の順位はほぼ分かるものである。しかしあの1999年の有馬記念ばかりは競り合った2頭のどちらが勝ったのかは時間が経過しても尚判然としないという、まれに見る不思議なレースとして私の記憶に残っている。

 この年、前年の有馬記念を勝ったグラスワンダーは宝塚記念を勝ち、安田記念2着と安定した成績を挙げ、史上3頭目の有馬記念連覇を目指していた。ライバルは天皇賞春秋連覇を果たし、ジャパンカップも制したスペシャルウィーク。他には菊花賞馬ナリタトップロード、皐月賞馬テイエムオペラオー、前年の天皇賞春優勝のメジロブライト等が王座を狙って登場していた。レース当日、単勝はグラスワンダー2.8倍、スペシャルウィーク3.0倍とこの2強の争いと見るファンが多かった。

 レースが始まるとゴーイングスズカが先頭に立つが、1000m通過が何と65秒2の超スローペース。グラスワンダーは11番手、スペシャルは最後方14番手を進む。2週目の3コーナー過ぎから、グラスワンダーの的場騎手が少しずつ動き始める、それを見てスペシャルも追走。レース前、尾形充弘調教師から「スペシャルが必ず、後ろから追ってくるのでそのタイミングを見てスパートするように」と指示されていた的場騎手だが、自分の前を行くツルマルツヨシの手応えがあまりにも良く見えたので心持ち早目にスパートを始めたという。勿論その動きを見てスペシャルの武豊騎手が追撃に移る、直線中程でグラスが馬群を抜けるとスペシャルが外から襲い掛かり、激しい競り合いのままゴールイン。

 その瞬間、グラスに乗っていた的場騎手もスタンドにいた尾形調教師も「負けた!」と思ったと言う。スタンドで見ていた私の目にもスペシャルが外から差したように見えた。場内ではあちこちで「グラスが勝った!」いや「スペシャルが差した!」と言い合う声が響いていた。しかし、この時スペシャルに乗っていた武豊騎手は「勝った!」と確信していたのだった。

 そして彼はやおらスペシャルをウィニングランへと導いたのだ。どんな接戦のレースでも乗っている騎手には「勝った」「負けた」の実感があり、その実感はかなり高い確率で当たっているといわれている。あの天才ジョッキーが確信したのだからこれは「間違いない」と多くのファンは思ったに違いない。ウィニングランからスタンド前に戻ってきた武豊騎手は小さくガッツポーズもして見せた。しかし待つことしばし、スペシャルが検量室前に戻った瞬間着順表示板の1着にはグラスワンダーの7番が表示されていたのだ。

 わずか4センチの差でグラスワンダーが勝ち、有馬記念連覇、宝塚記念を挟んでスピードシンボリ以来2頭目のグランプリ3連覇を達成したのだった。写真判定の結果が出るまでの間、スペシャル陣営は「勝った」と確信し、グラスワンダー陣営は「負けた」と思い込んでいたのだった。結果が出て初めて両陣営が改めて勝負の厳しさを認識させられることになったという有馬記念史上忘れられないレースである。史上最高のジョッキー武豊の正確無比な勝負勘を狂わせた1999年の有馬記念ほど不思議なレースはない。

草野 仁
1944年、満州生まれ。東京大学文学部を卒業後、NHKに入局。さまざまなスポーツ中継の実況やキャスターを経て、85年に退職。以後、フリーのキャスターとして活躍。TBS「世界ふしぎ発見!」やテレビ東京「主治医が見つかる診療所」などレギュラー多数。著書に『話す力』(小学館)など。

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